「祈りの痕跡。」展


某月某日、東京ミッドタウン内にある21_21 DESIGN SIGHT*1に、地球文字探検家 浅葉克己ディレクション。「祈りの痕跡。」展を観にいってきた。展覧会開催前に月刊「DTPWORLD」連載「文字は語る」の取材で浅葉さんにお話を聞いていた*2ので、とても楽しみにしていた。

最初に痕をつけたのは、誰か。
5000年前、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ瞬間、人間の思考、感情、芸術、科学は記録という行いによる永遠の生命を獲得した。「書く」という人類最大の発明から生まれる芸術や文化は、過去から未来に、個人から集団に伝染する軌跡の痕跡である。
21_21 DESIGN SIGHTの舞台に登場するこれらの痕跡は、現代人の意識に新たな痕跡を刻みつけるだろう。文字通り、浅葉克己が脚で探した地球発の表現を目撃するエキジビジョン。

http://www.2121designsight.jp/schedule/inori/outline.html

「21_21 DESIGN SIGHTの空間にさまざまな痕跡を集め、文字でこの建物を埋めつくしたい」
浅葉さんは、そう語っていた。しかも、「痕跡を集め」という言葉のとおり、集められたのは「文字そのもの」だけじゃない。「文字のはじまり」「文字の予感」を孕むものの数々ーー祈りを込めた痕跡が、会場には集められていた。

なかには神前弘さんの「おじいちゃんの封筒」のように、日々無心に淡々と行なわれた行為の集積が並べられたものもあった。80歳から95歳までひたすらにつくり続けた封筒は、全部で5000点にも及んだという。そこからさらに700点が浅葉さんによって選ばれ、そして、だれか人の手によって、この壁に貼られたのだ。……そう思っただけで、そこに込められた思いの数々がじんわりと自分のなかに浸透してくるような気がして、胸が詰まった。

無心に続けられたものに宿る圧倒的な魂は、版画家・木田安彦さんの絵画「不動曼荼羅」からも感じた。こちらは全650点。

痕跡はなぜ、こんなにも人を引きつけるのだろう。なかでも、ひとめ見るや目を離せなくなったのが、李禹煥さんの絵画「線より」だった。

床にキャンバスを置き、左から右にゆっくりと筆を動かして描いた作品。そのありようは、書の起筆にも通じるものがあります。

http://www.2121designsight.jp/schedule/inori/works.html

ただゆっくりと筆を動かした痕跡を残しただけの絵画。しかし、絵具*3が次第にかすれ、わずかに筆先に残った絵具がごく細い線を描きながら、途切れることなく紙の端まですーっと続ていく様子に、これを描くときの静かで張りつめた場面を思い、息を飲む。細い線が幾重にも同じ軌跡をたどるさまの美しさに、ため息が漏れた。どんな作品にも言えることではあるが、この作品のすごさはとりわけ、直に見ずには伝わらないだろう。

字游工房の「游明朝体」、マシュー・カーターの欧文書体「Verdana」、そして浅葉さんによって描かれた世界の文字の数々、そのどれもが、文字そのものが美しいグラフィックであることを雄弁に語りかけてくる。土橋靖子さんによる「いろは歌」も、書家の息づかいが伝わり、素晴らしかった。

人は、思いを留めたいと、切に願う。
だから文字は生まれた。
そんなことをしみじみ思う展覧会だった。