「活版凸凹フェスタ2008」に行ってきた。

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部が主催し、5月2日から行われている「活版凸凹フェスタ」に行ってきた。

「活版凸凹フェスタ」は、活字版印刷(以下カッパン・活版ともします)にまつわるさまざまを集めた楽しいお祭りです。活字をもちいて印刷をおこなう「活字版印刷術 Typographic Printing 」と、各種凸版類をもちいて印刷をおこなう「凸版印刷 Letterpress Printing 」を中心に、版画や製本といった関連技術も含めた作品と製品を展示し、一部は販売もおこないます。

 カッパンについてより深く知るためには、凸版・凹版・平版・孔版といった印刷の四大版式や技法を知ることも大切です。そしてそれぞれの版式や技法の利点を知り、表現に合わせて版式を選択し、それを組み合わせることによって、効果的な印刷表現や作品を生み出すことが可能になります。そのために本イベントを「活版凸凹フェスタ」とし、凸版はもちろんのこと、さまざまな版式や技法の作品も取り入れた「ファイン・プレスの祭典」として、ひろがりをもてる名称にいたしました。

 このイベントをつうじて、あらためてカッパンならではの魅力を多くの方に知っていただき、また、体験していただくことにより、カッパンがこれからも、広く、末長く、皆さまから支持されることを願っています。

ニュースNo.029:活版凸凹フェスタ2008 5月の連休はカッパン三昧 !

会場であるCCAAアートプラザは、四谷ひろばという建物のなか。この建物、旧四谷第四小学校を活用したもので、東京おもちゃ美術館も入っている*1

懐かしさ漂う入口から中へ。「活版凸凹フェスタ」の会場は地下にあった。
まず足を踏み入れた手前の部屋は、アダナ・プレス倶楽部会員による「カッパン作品展」。いろいろな作家の手による表情豊かな作品に見入る。楽しい。かわいいポストカードや、約物ぽち袋などを購入。お店番をしていたのは、どうやら中村活字 社長の中村明久さん。にこやかにいろいろ説明してくれた。

『はなうた』というリトルプレスを買ったら、中村さんがうれしそうに「売れたよ、三木さん」とつぶやいた。
「これね、自費出版なんだけど、三木さんとこ(弘陽)で刷ったんだって。それで三木さん、買い取ったらしいんだよ」
自分のところで印刷したリトルプレスを買い取る三木さんも、それが売れたことを我がことのように喜ぶ中村さんも、自分たちが携わってつくり出したものへの愛情にあふれているようで、なんだかとってもうれしくなった。

隣の部屋もまた見応えたっぷり。「アダナ・プレス倶楽部」の展示コーナーでは、大量の置きゲラ・組みゲラが用意された「ゲラゲラ祭り」を始め、新旧のカッパン資材の展示販売会。休日は「蝶番式プラテン小型活版印刷機 Adana-21J 」を使えるさまざまなワークショップが開催されているようだけれど、わたしが行ったのは平日。残念だなあと思っていたら、Adana-21Jでポストカードの印刷をやらせてくれた。初めて触るAdana-21Jに、どこまで力を入れて動かしてよいのか加減がわからず、おそるおそるになってしまう。すると、仕上がりがどうも美しくない。

「初心者の方はどうしてもおそるおそるやってしまうんですが、そうすると、こんなふうになっちゃうんです。もっと思い切って動かしてみてください」
そう言われて思い切り機械をスライドさせ、版にインクを2回ほどつけた後、紙に押し付けてみる。

今度はきれいに刷れた! すごくうれしい!
「大体200枚くらい刷ってみると、うまくなっていきますよ」
やはりある程度量をこなさないと、勘が身につかないのだろうな。紙にググッと版を押しつけながら、なにかに似てると思ったら、プリントゴッコで印刷するときの感じだった。あれは孔版印刷だが。
完成したカードを大切に持ち帰る。

その部屋の奥で、「サンキさんの残したカタチ」という特別企画展示が行われていた。墨田区にあった町のちいさな活字版印刷所「サンキ印刷」から機材を譲り受け、自らカッパン工房「凹凸舎」を主宰するフォトグラファー大沼ショージ氏による展示だ。使い古した道具と、サンキさんの写真。工場にたたずむサンキさんの姿と、そこに添えられた言葉を見て、泣きそうになった。その写真をまとめた冊子を会場での活版印刷実演で制作中だそうで、どうしても欲しくなり、予約してきた。届くのが楽しみだ。

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廊下の壁に貼られていた多摩美術大学 上野毛デザイン学科による壁新聞(?)を見たら、「このデジタル時代に活版を導入したのは、単なるノスタルジーからではない」と書かれていた。デザインにコンピューターを用いるいまの時代、キーボードを打てば文字は即時に表れるし、大きさや太さ、形を変えるのも簡単だ。組版でさえ、手軽にできる。デザインをはじめる最初からコンピューターを体験してしまうと、「PCソフトが自動的に作ってくれていることに気づかず、善し悪しの判断力も身につきにくい」、だからこそ学生たちに活版を体験させたい、というねらいのようだ。

確かに、コンピューターのなかだけで文字を触っていると、それがもとはだれかの手によって作られたものだということに想像が及びにくい。デザイン学科でもなんでもない、一般の学生と話をしていて、「文字(フォント)って買うものなんですか!」と驚かれたこともある。

印刷にしても、印刷会社の人に渡せば完成したものが上がってくる。それを印刷している現場を見たことがないと、そこに多数の人が携わっているということを忘れがちだ。

けれども文字がモノとして存在する活版というものに触れる体験は、文字や印刷物を作っている、機械を動かしている人の存在を浮かび上がらせる。自分が実際に動かしてみることで、かつて文字がどれほどの細やかな気遣いで組み上げられていたのか、どれほどの気遣いのもと印刷されていたのかがよくわかる。再びコンピューターによるデザインに戻ったとき、そうした気づきを経ているかどうかで、文字の扱いや印刷への考え方が明らかに変わってくるのではないか。

学生たちによる「この作業によって本当の文字というものは人の手によって生まれ、文字を印刷するということは人の手によって紙に跡を残していくことなんだ、という当たり前のことを実感した」「あらゆることは最初は人の手作業によって生まれた結果なんだということを実感した」という授業の感想を読みながら、つらつらとそんなことを考えた。

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活版で刷られた文字には、“凛としてそこに在る”というきりっとした存在感がある。その存在感に、どうしようもなく惹かれる。

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「活版凸凹フェスタ2008」は5月12日(月)まで。見どころはこちらを参照のこと。

*1:知っていればもっと時間に余裕を持っていったのに、残念! 今度また行こう。