「欧文組版セミナー」と、文字についてあれこれ考えたこと

昨日は折形デザイン研究所のトークショーを聞いた後、アップルストア銀座へ。美術出版社から『欧文組版』を上梓された、嘉瑞工房・高岡昌生さんのトークショーを聞くためだ。


欧文組版 組版の基礎とマナー (タイポグラフィの基本BOOK)

欧文組版 組版の基礎とマナー (タイポグラフィの基本BOOK)


嘉瑞工房は戦前から続く欧文金属活字の印刷会社で、海外からも高い評価を得ている。昌生さんはその三代目にあたる。

トークショーでは、本の内容に沿いながら、なぜ昌生さんがこの本を作ろうと思ったのか、本に込められた想いについてが語られた*1

この本は「読みやすい欧文組版」をテーマにしている。そしてもうひとつの大きなテーマが「思いやり」だという。組版はなんのためになされるかといえば、「読み手のため」。つまり「作り手がどうしたいのか」ではなく「読み手にとって読みやすい」ということがなにより大事。そのためには、読み手のことを考え、思いやることが必要だと。そして「読みやすさ」を最終的に判断するのは、数値や理論ではなく「人の目」。目で見て読みやすいかどうか、ということが大切なのだという。

だから高岡さんは、この本をマニュアルにはしたくなかったのだそうだ。「こうすれば読みやすい」と数値で示しても、書体や目的が変われば、適切な数値は変わってしまう。「組版ルール」というものは、定まっているようでいて、例外があまりにも多い。「組版は生き物のようなもの」、時代に応じて刻々と変化していくのが組版なのだ。「いま」の方法やルールだけを切り取り、数年先の読者を見捨てるのではなく、長く読まれる本を作りたい、そういう想いから、マニュアル的にではなく、組版の基礎とマナーについて「なぜこういうものがあるのか」「どうしてそうしなければいけないのか」ということがわかるようまとめられたのが、今回の本なのだという。

Amazonの内容紹介では「実際の練習問題と事例紹介を載せることで、組版の力がつくように構成されています。本書を読んだ後は過去の自分の組版をやり直したくなるくらい衝撃的な本です」とある。まだ買っていないのだが(昨日のイベント後、すぐ近くの教文館では売り切れていた)、手に取るのがとても楽しみ。

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さて、昌生さんの「思いやり」という言葉に出会ったのは、実は昨日のトークショーより前のことだった。

こちらには書きそびれているけれど、現在発売中の『デザインのひきだし 9』に連載中の「名工の肖像」で、昌生さんのお父上、高岡重蔵さんにインタビューをさせていただいた。原稿を書くにあたり嘉瑞工房関連の本をいろいろと読んだ。そのなかの一冊、『『印刷雑誌』とその時代―実況・印刷の近現代史』に所収されている文章「組版、欧文タイポグラフィ」(文章は重蔵氏と共著)のなかにその一節があるのだ。

 筆者らは師である井上嘉瑞から含めると、約八〇年に渡りこの国の「欧文タイポグラフィ」を見つめてきた。時代は活版、写植、デジタル印刷に変わり、組版(レイアウト)工程も激変した。しかし、印刷物が人の思いを伝える役目は終わっていない。手段が変わっても目的は同じである。「タイポグラフィ」は文字を読ませるもの、見せるものではなく、「読んで頂くもの、見て頂くもの」である。「読んで頂くもの」であれば、筆者の考えを、よけいな思惑を排除し的確に読者に伝えるための努力を惜しまない事が重要で、タイポグラファによけいな思惑は不要である。
(略)
 注文した人にとっても、それを渡す相手にとっても、心地良い印刷物であること。そのために「タイポグラフィ」の知識の集積があり、技術の積み重ねがある。
 いつか「Typography」が、「思いやり」と訳される日が来ることを切望する。

高岡重蔵、高岡昌生「組版、欧文タイポグラフィ」/『『印刷雑誌』とその時代』所収 印刷学会出版部、2007.12 P.171-172


この文章を読んで、こんなふうに思った。

組版は「文字を並べること」であり、なんのためにそれをするのかというと、「伝えるため」だ。私たちは伝えたいし、知りたい・読みたい。書き手の伝えたいことを読み手に媒介するのが、「文字」であり「組版」なのだ。

なぜ私が「文字」や「組版(またはエディトリアルデザイン)」に心惹かれるのかというと、そこに「思いやり」が隠されているからなのかもしれない、と*2


いま私は、文字を作っている人たちへのインタビューを重ね、本を作っている。
→ Blog 文字の本を作っています。  mojibook on Twitter


なぜこういう本を作りたいと思ったのか、自分でもはっきりと言葉にできていなかったその理由を、高岡さんの言葉から教えていただいた気がする。



『印刷雑誌』とその時代―実況・印刷の近現代史

『印刷雑誌』とその時代―実況・印刷の近現代史


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そしてもうひとつ、嘉瑞工房の創立者・井上嘉瑞氏が昭和11(1936)年に発表した名著の復刻版『井上嘉瑞と活版印刷 著述編*3のなかに、感銘を受けた言葉があったので、記しておきたい。同書が復刻する際に高岡昌生さんによって新たに記された解説のなかの一文だ。『』内は井上嘉瑞氏の言葉。

 タイポグラフィは芸術でも、学問でもありません。その試みが芸術的美的完成度を持っていても、たゆまぬ努力により偉大なる哲学的思想を持っていても、常に目的は書体の名前も時代的な背景も知らない人々の日常生活の中にあります。従って読書も手紙のやり取りも名刺の交換も能書きだけを知っていても良いものは出来ません。
 嘉瑞氏は、父に対して芸術家たる振る舞いを戒め、人に威圧を感じさせる知識の披瀝を禁じています。また、本を読み、見聞を広げ、ディスカッションや絶えず実践することを奨めています。
(略)
『一片の印刷物を提供するためには、知識を蓄え技術を向上させ臨むことで、最終的な結果として芸術的に優れた出来映えと評価を得ることになるかもしれない。しかし、その評価を得たいが為に組版に勝手な作為があってはならない。』

井上嘉瑞『井上嘉瑞と活版印刷 著述編印刷学会出版部、2005年 P.18-19


タイポグラフィの目的は常に書体の名前も時代的な背景も知らない人々の日常生活の中にある」……。忘れてはならない、しかしきわめて忘れられがちな、とても大切な視点だ。あらためて、「文字」が好きだな、としみじみ思う。




井上嘉瑞と活版印刷 著述編

井上嘉瑞と活版印刷 著述編

*1:具体的な内容についてのお話もありましたが、それは他の方のレポートに譲ります。

*2:そしてもうひとつ。「伝えたい」人と「知りたい」人の間に立ち、より伝わりやすくわかりやすいかたちで思いを伝える手助けをするのが、編集者の仕事である、とも。ライターとしての自分も、そういうスタンスの書き手でありたい。/さらにもうひとつ。デザインにしても文章にしても、本来は「思いやり」がとても大切なのだと思っている。

*3:ちなみにこの『井上嘉瑞と活版印刷 著述編』は、1936年に発表されたものであるにもかかわらず、現代の欧文組版にも通じる指摘が多数なされている。欧文組版に関心のあるかたにはおすすめの一冊だ。