アートスペースVEGAの「紙袋を折りかえる・展」

自分自身のルーツと正面から向き合うことの大切さ。大きな歴史の流れのなかに確かに自分自身がいる、すべてはつながっているのだということ。そのことを痛感した体験だった。

遠く連なる立山連峰、豊かに繁る木々の葉。青々とした稲のあいだを駆け抜けてゆくそよ風。里山雄大な自然のなかに、どうしても訪れてみたかった場所があった。貫場幸英さんがつくりあげたアートスペース「VEGA」だ。

そもそもここを知ったのは、以前、取材させていただいたことのある折形デザイン研究所がここ「VEGA」で「紙袋を折りかえる・展」という展覧会を開催すると知ってのこと。場所を調べてみたら富山県で、驚いた。富山には、小学生から中学生にかけて6年ほど住んでいたことがあり、とても愛着のある土地なのだ。大学の卒論も富山のことで書いたぐらいに。

とても見たい展覧会が、大好きな土地で開催されている。どうしても観に行きたい、でも遠いな……。そう思っていたところに、富山に呼ばれたとしか思えない出来事が重なった。某誌で取材を依頼した方が、富山にいることがわかったのだ。これはもう、行くしかない! 出張に出るには調整し段取らなければならないことが諸々あったけれど、どうにかすべて手配をつけて、行くことができた。それが今回の富山出張だった。


*会期は7月末まで延長されています。

「VEGA」は築70年の納屋を改修して作られた空間だ。空間は大きく、「素の間」「土の間」「紙の間」「風の間」「木の間」の5つに分かれている。

「素の間」で導入のお話を聞き、はじめに案内されたのは、「土の間」だった。木戸を引き中に入ると、足もとも見えないほどの漆黒の闇が広がる。その暗闇の空に、折り筋により幾何学的な陰影のついたいろいろな形の紙袋が、ほんのりとオレンジ色の光をたたえて光っている。それも、ふわりと点いたり消えたりしている。さながらホタルのように。

目をこらして足もとを見ると、自分が深い淵に立っていることがわかった。ほのかに光る紙袋を、そこに映して、水面が広がっている。「土の間」の水盤だ。貫場さんはここを「富山の深海」と呼ぶ。呼び名のとおり、いったいどれほどにこの水盤は深いのだろうと思う。それが実はごく浅いものであることは、後でわかった。高低差をつけて天井から吊るされている紙袋が水面に映り込み、深海を演出していたのだ。

物音をも吸い込むような闇のなかで紙袋をながめているうち、むしょうに泣きたいような気持ちになった。富山に住んでいた子どものころ、家の近くには田んぼが広がり、夏になるとホタルがたくさん飛んでいた。降り注ぐような満天の星空。手をすっと動かしただけで手のひらにホタルが入るほどに、本当にたくさん飛んでいたっけ。そんなことを思い出したら、懐かしさと切なさが襲ってきて、涙がこぼれそうになったのだ。

しばらくして「土の間」の階段をのぼり、にじり口から入った場所は「紙の間」と呼ばれる空間だった。土壁の土が漉き込まれた障子越しに、やわらかな陽の光が注いでいる。和紙が貼られた床の上には、白い紙袋たちがやはりさまざまな形に折られ、整然と並べられていた。ゴォォォ……という音に気がつき目が合うと、貫場さんが「川の音です」と教えてくれた。さっきまで無音だと思っていた空間には、耳を澄ますと川の音、風の音、鳥の声、さまざまな音が運ばれてきていた。

壁にもたれて和紙の床に座り、紙袋の造形をながめながら、自然の音を聞く。展覧会以外の時は、この部屋には折形デザイン研究所の紙幣包みが並べられるのだという。

祈りに満ちている、

ふとそう思った。「土の間」にも、この「紙の間」にも、そしてここに置かれた折形たちにも。壁を塗る、紙を漉く、床を張る。紙を折る、紙袋を折りかえる。手をつかい、無心になされるその行為は、祈りのようなものだ。祈るような思い。それをたたえた人は美しい。その姿に思いを馳せながら「紙の間」に座っていると、いつまでもそうしていられると思った。離れがたい空間。

「紙の間」から再び「土の間」へ。ここで物語は最終章を迎える。扉が開き、水盤の向こうに「風の間」の芝生の丘、そして里山が現れた。緑は水盤にも映り込み、自分が立っている場所から里山、そして空までもがすべてつながっていると感じさせてくれる。祈らずにはいられない。本当に美しいものを前にした時、人は祈らずにいられないということを痛感する。

「風の間」は屋外だ。きれいに芝生が根付いた丘には、「VEGA」をつくる改修工事で出た瓦礫が埋められているのだという。青空の下、さわやかな風が通り抜ける。とても気持ちがいい。

その後、「VEGA」のオフィスを案内していただき、最後に「木の間」へ。アーティスト滞在時にはアトリエになるというそこは、そのまま住み込んでしまいたくなるような場所だった。

「VEGA」のあちこちの窓が、周囲の雄大な自然を切り取った借景となっている。どの窓から見る風景も美しい。

世界に発信する拠点として

プロデューサーの貫場幸英さんは、もともとは日本を代表するアルペンスキーヤーだった。その絶頂期に、家業の瓦工事会社を立て直すため、富山に帰ってきたのだという。そうして住宅産業に従事するうち、日本の住まいや暮らしに疑問をもつようになった。「世界を旅し、建築を見て歩いた自分が、現代の建築よりも50年前、100年前の日本建築に心を揺さぶられるのはなぜだろう」。考えた末たどりついたのが、自分のルーツに向き合うことだった。

祖父母や両親がいて、はじめて自分という存在があるということ。そもそも明治時代、水害のひどかった常願寺川に、デ・レーケというオランダ人技師が「水のデザイン」である治水工事を行なったおかげで、この土地に作物が実るようになった。祖父は農業を営み、農作業のために後の「VEGA」となる納屋を建てた。「その大きな歴史のなかに、自分はいる。もっと身近なもの……、自分のルーツである大山に目を向け、正面から向かい合っていかなければ」そう思ったことが、貫場さんのいまの活動につながっているのだそうだ。

「生きることのすべてが、デザインなんです」
貫場さんのそのひとことが、強く心のなかでこだました。

十数年ぶりに富山を訪れてみて、あらためて、自分のルーツは富山であると感じた。その前に住んでいた場所にも、後に住んでいた場所にも、ここまで愛おしさと郷愁をさそわれない。十数年前、卒論の調査で土人形師のおじいさんを訪ねたことは、書く仕事をするうえでの原点となっている。富山を訪れて、さまざまな気持ちが去来した。わたしももう一度、自分のルーツに向き合い、身近なものに目を向けたい。

「ここに来ることでしかできない体験ができる場所」。写真や文章ではとても伝わりきらない、あの場に身を置いてみなければわからない。本当に来てよかったと、何度心でつぶやいたかわからない。そんな素敵な場所と、素敵な人たちだった。貫場さん、本当にありがとうございました!

 「愛しの富山」として私が訪ねた時のことを書いてくださっています。

  • VEGAは本当に美しい場所で、初めて訪れ圧倒されたわたしは、それを目に焼き付けることに一生懸命で、写真を撮影して良いのか尋ねることすら忘れてしまいました。美しい写真の数々はVEGAのサイトや貫場さんのブログで見ることができます。