積み木のようにひとつひとつ。

昨日3月8日(日)は某企画展勉強会の中間報告会。テーマに詳しい方々が参加してくださり、いつもと違う視点からの指摘やアドバイスをたくさんいただいて、とてもためになる会だった。

ふだんわたしが雑誌などで書いている文章は創作ではなく、取材してきた事実に基づき書くものではあるけれど、自らの心に行き交ったことを核として書いていくので、筆は走らせやすい。けれども研究として書く文章は、もちろん自らの所感も織り込んではいくけれど、単語のひとつひとつ、そしてその組み合わせ方、文章の組み立て方ひとつひとつに「なにをどこまで調べ、理解しているか」が表れてしまう。コツコツと調べ上げた事実のひとつひとつを積み木のように地道に積み上げていった果てに、ようやく文章ができあがるのだ。

そしてその文章を読んでもらうとやはり、あいまいなままやり過ごしてしまっていたり、調べ切れてない積み木の部分に指摘が入る。「なんとなく」で筆を走らせた部分は、事実とは微妙に異なったニュアンスが含まれてしまいやすい。

研究のための文章*1を書き上げるということは、なんて果てしない作業なんだろう、といつも思う。けれど、膨大な調べものの末にクリアになってきた物事から、知らなかった「なにか」が見えてきて、そのもやっとした「なにか」を文章という形にすることにより新しい宝物を手に入れるという、あの、深い霧がすっと晴れて視界に絶景が広がるような爽快感が、こういう文章の楽しさのように思う。

あるいは、日の出を見たときの感動にも近いかもしれない。暗闇をさまよい続けた末にようやく差す光。

とはいえ今回のゴールはまだまだ先。調べなければならないことが山とある。

*1:完全なる論文ではないので、まだまだ基準としてはきっと甘いのだけれど、そのレベルですら。