永遠のアマチュア

もうひとつ、五十嵐威暢氏の本から。

僕が尊敬するデザイナーの名前を挙げてみよう。ハーバート・バイヤー、マックス・ビル、マッシモ・ヴィネリ、エンゾ・マリ、イサム・ノグチ。この他にもいるけれどこのくらいにして、彫刻家のイサム・ノグチが入っているのは照明機具やラジオや噴水や庭園など、数多くのデザインの名作を残しているからだ。これらの偉大なデザイナーに共通していることは、何だか分かりますか。それは活動領域の広いことです。グラフィック、プロダクト、インテリア、建築、ランドスケープ、絵画、彫刻、とにかく広いのです。とかく専門家は狭くそして深くを期待されます。僕はこの考え方に反対で、だから一層これらの先輩達を尊敬するのです。僕は自分をデザインのアマチュアだと思っています。だからいつも新しいことを勉強しながら、新しいことに挑戦して、デザインを十分に楽しんできたのです。(略)広い視野に立って物事を遂行することの大切さが理解できるなら、広い分野にまたがって仕事をすることの重要性も理解していただけると思います。興味のある分野を拡げて自分の持っているアイデアを実現する。楽しくて健康的な生き方だと思いませんか。デザインは生き方です。(略)

五十嵐威暢『デザインすること、考えること朝日出版社,1996.4.15,P.130-132 (装幀:山口信博)

近ごろの自分はいろいろなことに首を突っ込みすぎて、「広く浅く」、どれも中途半端になってしまうのではないか、もっと「狭く深く」したほうがよいのではないか、第一そのほうが効率がよいではないか。ここのところ、そんな悩みが心の底にずっと横たわっていた。しかしこの文章を読んだら、いまの自分の状況はそう悪いものじゃない、むしろ自分はこれでいいのではないかと、すっと気が楽になった。

五十嵐威暢氏といえば、「PARCO」のロゴデザインなどを手がけ、この文章を書いた当時すでにデザイナーとして相当に高い評価を得られていたはず*1。そんな氏が「僕は自分をデザインのアマチュアだと思っています。だからいつも新しいことを勉強しながら、新しいことに挑戦して、デザインを十分に楽しんできたのです」と語っている、そのことに感嘆したからだ。

広くさまざまな分野に首を突っ込むということは、どの分野においても真っ白な、なにもわからない状態から物事を考え始めることになる。たしかにどの分野に対してもーー、たとえばわたしなら、文字やデザイン、くらしの歴史、最近では近代建築についてなど、どれをとっても「自分はアマチュア、初心者だ」という意識がとても強い。そのなかのひとつに絞り込んで研究を深めるということがなかなかできないから、「自分は初心者である」という意識をなかなか払拭できないし、事実そのとおりであるのだ。

けれど、その道を知り尽くしたプロフェッショナルにしかできないことがあるのと同様に、アマチュアにしかできないことがきっとある。ならば永遠のアマチュアであろう。「自分はアマチュアだ」と思い続けよう。

*1:現在は彫刻家として活動。