秋田道夫写真展「空気のてざわり」

天童木工PLY*1で開催されていた、プロダクトデザイナー秋田道夫さんの写真展「空気のてざわり」を2月22日(日)に観てきた。最終日だった。

わたしの写真は多くの場合、人やモノがその画面の中央を占める事がありません。
美とは単独のものではなくてそのまわりにある空気とともにでできている。
それはそのままデザインに対するわたしの考えであり、
こうやって展示する事によってわたしも「空気(環境)」とともに出来ている事を
あらためて見ていたいと思ったのです。

(展覧会場にも掲示されていた、秋田道夫さんの言葉より抜粋)

http://info.tendo-ply.jp/?eid=158

「美とは単独のものではなくてそのまわりにある空気とともにできている。」
何度も心のなかで読み返し、たしかめ、それについて考えたくなるような、響いてくる言葉だった。あめ玉のように心のなかでその言葉をころがしながら、秋田さんがモノを見るときのあたたかな視線が伝わってくる写真をながめた。

* * * *

このエントリーを書こうと思って秋田さんのブログにアクセスしたら、「くりかえしても伝えたい事」という2月22日の記事にこんなことが書いてあった。

「これが必要」「あれも必要」モノを考えるとき必ずそうなるのです。
必需品を大勢で集めるとかならずそこには誰かにとっては「必需じゃないも
の」が生まれるのです。

「機能をふやすには技術がいる。機能を減らすには哲学がいる」と何度となく
書いていますが、そこでいう「哲学」とは「すてきな我慢」の事です。

Information: February 2009 アーカイブ

わたしはとてもよくばりで優柔不断で、捨てることの苦手な人間なので、モノ(というか、わたしの場合、誌面であり本であり)をつくる時、とかく「これが必要」「あれが必要」となんでもかんでも盛り込もうとしがち。けれどそれは秋田さんのいうとおり「必需じゃないもの」を生み出すことにつながるわけで、「大切なこと」をぼかしてしまうことにつながりかねない。だから気をつけなくてはいけないなあといつも思っているのだが、取材した時に自分が感動したことやおもしろいと思ったことを少しでも多く入れたいという気持ちから、気がつくとまた「あれもこれも」になっている。

「すてきな我慢」。それはいまの自分にとても必要なこと。

秋田さんのブログはいつもこんなふうに、いろいろなことに気づかせてくれる。