“干し物”がうみだす生活感 〜江戸東京たてもの園その3〜

前エントリーまでに紹介した江戸東京たてもの園の写真は、おもに「西ゾーン」と「センターゾーン」、山の手通り沿いの建物たちを写したものだった。これら2つのゾーンでは主に住宅が復元・展示されている。いっぽう、「東ゾーン」には昔の商家が集まり、下町の風情を感じさせる空間だ。

「武居三省堂(たけいさんしょうどう)」は文具店。明治初期に創業したお店で、建物は関東大震災後に建てられたもの。

その看板建築の風情あるたたずまいに惹かれて中をのぞいてみれば、これがまた素敵。

このシステマチックな収納棚ときたら! 左右両側の壁がびっしりとつくりつけの棚になっているだけでなく、天井にまでびっしりと吊り棚がしつらえてあり、そこにぎっしりと商品在庫が収納されている。すごい。

昭和8(1933)年に建てられたという醤油屋さんのたたずまいも味があった*1。いま、こんなお醤油屋さんがあったら、かえって繁盛するんじゃないか。だって、この建物で売られていたら、おいしそうだもの。そして店内にはこんなかわいいレジスターが。

さて、下町ゾーンの一角、荒物屋の「丸二商店」裏手には長屋がある。その細い路地に足を踏み入れて、おどろいた。あれっ、もしかしてここって、実際に人が暮らしているの?!

けれども、よくよく見ればやはりそんなはずはなく、住宅内に住民の姿は見えなかった。どうして「人が暮らしてる?!」と感じたのかといえば、布団が干され、物干には洗濯物がはためいていたからだ。「ああ、これも演出なのか」となんとなく感心したのだけれど、帰宅後に持ち帰った『江戸東京たてもの園だより31』を見て再びおどろいた。なんとこれ、「干し物プロジェクト」と名づけられたプロジェクトだったのだ。

なんでも、好天に恵まれた開園日に、その時の天気や季節に合わせた干し物をボランティアが選び、干すのだそう。

「干し物プロジェクト」の見所は三つ。第一のポイントは、干される洗濯物が昭和20年代から40年代にかけて当園のボランティアが実際に使用していた「本物」であるということです。少しくたびれた肌着やお手製の割烹着、かすかなシミの残る布オムツがかもしだすリアルな生活感に、お客様からは「この建物、今でも人が住んでいるの?!」との声がよせられます。
 第二のポイントは、干される洗濯物の種類が往時の住人構成に沿ったものであるということです。乳児のいた家には黄ばんだ布オムツが、学生が下宿した長屋には一人暮らしの悲哀漂う肌着や手ぬぐいが干されます。軒先の洗濯物は、建物に生活感を与えるだけでなく、そこに暮らした人々に思いをはせるきっかけを提供してくれるのです。
 そして、第三のポイントは、その日に何をどのように干すかは、昭和を生きたボランティア次第ということ。天気や季節に酔って表情を変える本物の干し物風景をボランティアの「経験」が支えます。足袋や肌着の干し方から洗濯物を取り込む仕草にいたるまで、それらひとつひとつに込められた「くらしの知恵」をご堪能ください。(略)

学芸員 浅川範之氏の文章(『江戸東京たてもの園だより31』2008.3.30,P.31)より

こんなふうに「くらしの知恵」を働かせながら干し物を行なうボランティアの人たちは、きっととても楽しいことだろう。そういえば、園のあちこちで見かけたボランティアの方々みなさん、本当の住民のように場になじんで、楽しそうにしてらした。

下町ゾーンにはドラえもんに出てくるような土管のある空き地があって、子どもたちが昔遊びに興じていた。わたしたちが行った日には行なわれていなかったけれど、商家のなかでさまざまな伝統工芸の職人さんによる実演が行なわれることもあるらしい。ここの建造物は展示物ではあるけれど、いまも人々とともに暮らしている「家」なのだなあとしみじみ思った。

その4に続きます。

*1:写真がなくてすみません。