消える専門職【追記あり】

12月13日(土)、活字研究会で活版印刷に関連するビデオの放映会を行なうとのお誘いを受けて、参加してきた。上映されたのは次の映像*1

  1. NHK歴史ドキュメント「海を渡った李朝活字 〜家康の大出版計画〜」1987.2.21
  2. 秀英体活字と組版 その手が文字を作るまで」大日本印刷篇 2001.5
  3. 「活字文明開化 本木昌造 活版術を導入 蝋型電胎母型の製法」凸版印刷博物館篇 2003.10
  4. 「母型と活字の製造現場」岩田母型大森工場 1993.4.13
  5. 「活字組版と製版現場」図書印刷 原工場 1993.4.13

この日はあいにく所用のため最後までいられず、3の途中で泣く泣く退出。痛恨だったが、たとえ途中まででも蝋型電胎母型の製法を見ることができたのは大きな収穫だった。これまでにもその製法の解説を下記のような文章ベースでは読んだことがあったが、なにぶん理系音痴なもので、具体的にイメージできなかったのだ。*2

1)製造
 文字を彫刻した木版を一定の間隔をおいて1行に組み,鉄製のせきがたを抱かせておく。その上を蝋を流した盆をかぶせて型をとり,型をとった蝋盆に黒鉛の粉末をまぶして電導性を与え,これを電槽につるして,厚い銅層を電着させる。こうしてできた母型をガラハという。また,種字が木版でない場合,すなわち鉛の彫刻活字から母型をつくる場合は,じかどり(直接法)といって,活字をじかに電槽につけて電着する。この工程は非常に簡単であるが,種字を相当吟味しないと字づらのまずい母型ができやすい。

http://www.print-better.ne.jp/story_memo_view/tubo.asp?StoryID=9004

映像で見たことで、どのように電着を行なうのか、大まかにではあるが理解ですることができた。

秀英体活字の作字から印刷まで」

途中退出となった3も含め、どのビデオも興味深かったが、とりわけ「秀英体活字と組版 その手が文字を作るまで」は大日本印刷での秀英体活字のデザインから印刷までの工程を、職人をクローズアップしながらていねいに見せてくれて、とてもよかった。工程は次のとおり。母型製造には電胎法と彫刻法の2種類があるが*3、そのうちベントン彫刻機による彫刻法の製造工程の解説だった。

  1. 作字
  2. 母型
  3. 活字鋳造
  4. 文選(ぶんせん)→ここで母型がない文字があった場合、直彫り
  5. 植字(ちょくじ)
  6. ゲラ刷り
  7. 校正
  8. 本刷り
  • 作字:彫刻法の場合、まずは作りたい文字のレタリングから始まる。一文字レタリングするのに、熟練工で1時間。ここで登場していた職人は「文字デザイナー」。その後、レタリングした文字をもとに亜鉛板でパタンを作成する。
  • 母型:パタンをベントン彫刻機にセットし、母型を彫刻する*4。現在動かせる機械は、撮影時点で日本に数台しかないとのこと。ベントン彫刻機での作業工程は3段階。「粗彫り」太く短いカッターで、文字の外側(輪郭?)を彫る。「中間彫り」細いカッターで文字面を彫る。「仕上げ彫り」一番シャープなカッターで文字面の仕上げを行なう。1文字を彫り上げる所要時間は10分。時間をかけすぎると機械の熱で母型の形が変わってしまう。
  • 活字鋳造:金属活字は印刷の工程で傷つきやすいので、常に新しい活字を鋳造する必要があった。大日本印刷で使用していたのは林栄社の鋳造機(メーカーはもうない)。鋳造した活字は、活字の幅や高さが規定にあっているか、文字の中心位置が正しいか、丹念にチェックを重ね、大量生産にうつる。チェック時に使用する道具がユニーク。「高低見(こうていみ)」活字の高さを調べる道具。「幅見(はばみ)」活字寸法をはかる道具。「版面見」欧文を鋳込む時などに同じ規格のラインになるよう合わせる道具。和文(漢字)は活字材の真ん中に文字を鋳込めばよいが、かなは真ん中に鋳込むだけでは組んだ時のバランスが悪くなるため、文字ごとに調整が必要。たとえば「し」や「が」は寄って鋳込む。
  • 文選:使用する活字を活字棚から拾う。この時に母型がない文字があった場合、直彫りをして父型を作り、それをもとに母型を起こす*5。ここでは直彫り職人として中川原勝雄さんが登場していた。
  • 植字:拾った活字で組版作成。登場していた植字職人は西澤邦治さん。A5サイズの組版を1時間で完成するとのこと。ビデオ放映会場から「はやいね」の声が漏れていた。
  • ゲラ刷り:専用の印刷機で校正刷り。ゲラ刷り職人。
  • 校正:校正の後、赤字が入った個所の文字をピンセットで抜き取り、修正。差し替え職人。
  • 本刷り:印刷本番。

ざっとこんな工程だった*6

消える専門職

この流れのなかで、多くの職人が登場し、自らの仕事内容と誇りを簡潔に語っていた。文選、直彫り、植字、ゲラ刷り、それぞれに職人がいることは知っていたが、驚いたのは「差し替え職人」が登場したことだった。「赤字修正」というひとつの工程にも、それ専門に責任を負う専門職がいたのだ。つまりそれは、「差し替え」というひとつの仕事に求められる技術の高さと奥深さを示していると思う。

DTPでは、赤字修正はデザイナーかオペレーターが行なう。場合によっては、編集者やライターが行なうこともあるかもしれない。デザインにコンピューターが導入されてから、デザイナーの担う仕事範囲は格段に広がり、代わりに組版を担う専門職が消えていった。確かに、DTPにおける赤字修正は容易だ。それだけに、かつては専門の職人が担っていたということに対する驚きが大きかった。

コンピューターや組版ソフトはデザインや組版にまつわる作業をたしかに楽にしてくれた。けれど一方で、一見「だれにでもできる」と思わせながら、実はある程度の知識をふまえることが必要だということが忘れられがちだ。わたし自身はデザイナーではないけれど、いまわたしたちが行なっている作業の一つひとつに、かつてはそれぞれ専門の職人がおり、誇りと責任感をもって取り組んでいたということは、語り継いでいきたいと思った。

【追記】
ブログをご覧になった大日本印刷秀英体開発室の方から、下記の補足をいただいた。

  • (ビデオに登場していた)大日本印刷・市谷工場は、規模が大きいため、文選・稙字・差し替えはほぼ分業されていた。
  • ただし小規模の印刷工場では、ひとりの職人が大体の工程を担当できる場合が一般的。
  • 活版が衰退してから最後まで市谷に残った職人(ビデオ出演メンバー)は、全体の工程を担当できる。

…ということで、効率上、分業はなされていたけれど、職人たちは複数の工場を渡ってきた経験を持つことも多く、ひとつの作業だけをひたすらやっていたわけではなかったのかもしれない。しかし、その時その時で担当する仕事の範囲は絞り込まれており、そのぶん専門性が求められていたんじゃないかと思う。

秀英体開発室のSさん、ご指摘ありがとうございました。

*1:もしかすると会場時間の関係で4、5は上映しなかったかもしれません。

*2:活字研究会の会員・大熊肇さんのブログで蝋型電胎母型の制作過程が写真とともに紹介されていた。これは素晴らしい。ただし電解槽で電着している様子などは見られない。http://tonan.seesaa.net/article/31108577.html

*3:…と、このビデオでは解説されていたと思うが、以前、築地活字でうかがった話ではこれに「パンチ式」を加えた3種類とのお話だった。http://d.hatena.ne.jp/snow8/20080531/p1

*4:ベントン彫刻機とその母型製作については、ここに詳しい。http://www.motoyafont.jp/sono1.html

*5:直彫りとは、電胎法で種字を作るための技術。戦後、電胎法から彫刻法に主流が移り変わるのに伴い、直彫り職人も減少。

*6:工程の参考ページはこちら。2006年のブックフェアで大日本印刷が直彫りやゲラ刷りを実演した時の様子。http://www.dnp.co.jp/shueitai/event/bookfair2006.html