わたしたちは良いものを残さねばならない。

職人が代々受け継いできた技は、言葉や数値で表せるものではないといいます。これまで何人かの職人を取材してきましたが、みなさん口をそろえていうのは「こうしなさい、こうするといいと教わったことは一度もない」ということでした。しかしそれは決して意地悪でそうしているわけではないのです。見て学び、自分でやってみて学ぶ以外に身につける方法がないのだということを、師匠自身が身にしみてわかっているから、ただ黙々と仕事をする背中を見せるのです。

最後の宮大工棟梁・西岡常一さんの聞き書きをまとめた『木のいのち木のこころ 天』を読んで、「手技の継承」ということをあらためて考えました。

一人前の職人になるためには長い修業の時間がかかります。近道や早道はなく、一歩一歩進むしか道がないからです。学校と違って、頭で記憶するだけではだめです。また本を読んだだけでも覚えられませんな。

自分で経験を積み、何代も前から引き継がれてきた技を身につけ、昔の人が考え出した知恵を受け継がなくてはならないのです。

<<なぜならすべての仕事を基礎から、本当のことは何なのかを知らずには何も始められず、何をするにしても必ずその問題にぶつかるからです。途中を抜かしたり、借りものでその場を取りつくろっても最後には自分で解決しなくては職人の仕事は終わ>>らないからです(ここまですべて西岡常一木のいのち木のこころ 天』新潮社,P.4-5より/初出1993.12草思社)。

自分自身で実際にやることなしには、技を継ぐことはできない。

 法隆寺を守ってきたのは、こうして受け継がれてきた木を生かす技です。この技は数値ではあらわせません。文字で本にも書き残せませんな。それは言葉にできないからです。技は人間の手から手に引き継がれてきた「手の記憶」なのです。そしてこの手の記憶のなかに、千三百年にわたって引き継がれてきた知恵が含まれているのです。

西岡常一木のいのち木のこころ 天』新潮社,P.6/初出1993.12草思社

それを引き継ぐのが「徒弟制度」という人の育て方でした。西岡さんは小川三夫さんという後継者を得て、技を伝えることができました。しかし、職人のなり手が減っているいま、後継者が現れず技が引き継がれていかないケースもきっと多い。名人、名工と呼ばれた人々がなき後、歴史ある素晴らしき建造物や工芸品、生活のなかのさまざまなものたちはなくなっていってしまうのでしょうか。そんな悲観的な思いが、わたしにはこれまであったのです。

ところが、西岡さんは本の最後でこう言っています。

よく百年、二百年後には西岡のようなものがおらんから木で塔を造ったり修理は無理やろといわれますが、そんなことはないんです。現にそこに塔がありましたら、木のことがわかる者や、ちゃんとした仕事をする者は昔の人はこないやったんかていうて、私らが千三百年前の力強さや優雅さに感心して学んだと同じようにやれるんです。それができんやろからコンクリや鉄でやったほうがいいというのは、次の人たちに対する侮辱ですな。私も法隆寺薬師寺の塔からいろんなことを勉強させてもらったし、教わったんです。この後の人かて、ちゃんとした物が残されておったら、そこから学び取ることができるんですわ。そのためにもちゃんとした物を残さなあきませんで。いいかげんな物を造って残したんでは伝わるものも伝わりませんし、そこで伝わってきたものを滅びさせることになりますのや。ちゃんとしたものを残すためには、できるだけのことをせなあきません。

西岡常一木のいのち木のこころ 天』新潮社,P.166/初出1993.12草思社

人がいなくなっても、ものが「手の記憶」を引き継いでいく。だからこそ「ものづくり」に携わる者は、いいかげんなものを残してはいけないのです。覚悟と決意をもって、できるかぎりを尽くさなくてはいけない。

わたしたちはだからこそ、良いものを作らねばならないのだ。

それはきっと、伝統的な技に限らず、すべてのものづくりに共通して言えることなのだと思います。

ものづくりの一端に携わる者として、とても、とても大切なことを教えてもらいました。

木のいのち木のこころ 天 (新潮OH!文庫)

木のいのち木のこころ 天 (新潮OH!文庫)