痕跡が伝えるもの

手の痕跡が見えるものって、やはりそこに描かれているもの以上に情報量があるというか。

先日、まもなく開催の「祈りの痕跡。展」について浅葉克己さんにお話を伺っていたときに、わたしが言っていた言葉。お前の言葉かよ! 自分の言葉をメモすんなよ!という感じもするが、だれかと話をしているとき、相手の話に触発されて、思いもよらない言葉が出てくることがある。あとで振り返ってみて「へえ、わたし、こんなこと言ってたんだ」と思うことは少なくない。なのでマヌケなようだけれどセルフクリッピング

「手の痕跡」が描かれている以上のことを伝えるということは、先週観に行った井上雄彦さんの「最後のマンガ展」でも感じたことだ。原画を目の前にした時にしかわからない迫力、存在感。描き手の体温、画面からあふれでる思い。そういうものが、ごくわずかな筆跡からも伝わってくる。……井上さんの原画は非常に美しく、印刷物になることによって消える「アラ」のようなものはほとんど皆無に等しかったが。それでも、スミベタの部分のわずかなムラ(印刷するとわからなくなる)などから、井上さんの手の動きが感じられたことは感動的だった。

手はすごい。
ここ数年、しみじみと思い続けていること。