「生きるために水を飲むような読書」をしよう。

齋藤(略)もう一つは、「言葉を味方につける」。人に言われて嬉しかった言葉は、ちゃんと手帳にメモして残しておくとか、人から来たいいメールのみ残しておく、ということをやってみる。私は携帯でメールのやりとりをすることがあるのですが、携帯に残っているのは、自分にとってのいい言葉だけです。言葉というものは、心の浄化機能としてすごく大きな役割を果たします(後略)
(『私塾のすすめ齋藤孝梅田望夫,2008,P.152)

とりわけ言葉というものを大切にする性質の自分にとって、言葉から受ける浄化作用はとても大きいと感じる(そのぶん、言葉から受ける傷も大きかったりするのだが。若いころは、自分が思うほどに他人は言葉を大事に抱えておいたりはしないものだという切ない出来事に傷ついたりしたものだった)。そんなわけで、梅田望夫id:umedamochio)さんの真似をして、はてなハイクを使って「力をくれる言葉」をサイドバーに貼りつけてみた。とりあえず試用運転中。中村勇吾さんが始めた「引用β*1も気になるところ。

さて、齋藤孝さんと梅田望夫さんの『私塾のすすめ』。少し前に読み終えて、思ったところを書きたいと思いつつ、まとまらないでいるのだが、「言葉を味方につける」方法の一つとして梅田さんが話されていた「読書」についての言葉が、強く印象に残った。

梅田 読書はすごく大事ですね。本を読むときに、「頭で読む人」と「心で読む人」がいると思っています。「頭でよむ人」というのは、その本を自分の人生に生かそうなんていうことは、全然思っていない。「知」というものは自分の人生そのものとは別のところにあると思っている。学者の人だったら、そういう読み方でいいんですけどね。僕は「心で読む」というのがとても大事だと思っています。言葉を大事にして、それを励ましにして、生きる糧にするとか、本のなかに出てくる人の時間の流れ方がいいなと思うことや、その本の中の何に自分は惹かれているのかということから、自分の志向性を発見しようとするとか。僕はそれを、「心で読む読書」とか「生きるために水を飲むような読書」とか、そういうような言い方をしているんだけれど。
 つまり、「読書とは何か」と考えたときに、「知」というものを頭の中に入れ込んで記憶して、それを人に伝えるとかひけらかすとか、どっちが物知りか比べるみたいなことだと、グーグルにどうせ負けてしまう。ある程度の基礎力は必要だけれど、それ以上のところの読書の意味として「心で読む読書」を心がけて、自分の生きる糧として知を使ってほしいです。(略)
(『私塾のすすめ齋藤孝梅田望夫,2008,P.154-155)

「生きるために水を飲むような読書」。まさにそんなふうに自分は本を読んでいるし、そんなふうに読んでもらえる文を書きたいんだなあと、しみじみ思った。

私塾のすすめ』については、いずれまた、あらためて。


私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

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*1:「引用βとは、それが置かれた文脈を離れてもなお、力を持つ言葉をシェアし、リスペクトすることを目的としたサービスです。引用文の集積のみでユーザーのイルなセンスが試される過酷な戦場でもある。」引用βサイトより。