「朝飯前」のすすめ。

外山滋比古氏の『思考の整理学』を読んだ。「朝飯前」考がおもしろかった。

「夜書いた手紙は、翌朝読み返したほうがいい」というのは、よく聞く話だ。朝になって読み返してみると、あまりに感情的に綴られた文章で、投函するのがためらわれる、ということが少なくない。そんなことから、外山氏は「どうも朝の頭の方が、夜の頭よりも、優秀であるらしい」「朝と夜とでは、同じ人間でありながら、人が違う」と思い至り、「朝飯前」という言葉を思い出す。

“朝飯前”ということばがある。手もとの辞書をひくと、「朝の食事をする前。『そんな事は朝飯前だ』[=朝食前にも出来るほど、簡単だ]」(『新明解国語辞典』)とある。いまの用法はこの通りだろうが、もとはすこし違っていたのではないか、と疑い出した。
 簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないkとが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と呼んだというのではあるまいか。どんなことでも、朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。
外山滋比古思考の整理学』P.24,ちくま文庫,1986.4/初出は1983)

けれども朝はゆっくり起きる外山氏は、朝飯前に仕事をするなどなかなかできない。「英雄的早起きはできないが、朝のうちに、できることなら、朝飯前になるべくたくさんのことをしてしまいたい。それにはどうしたらいいか。」

外山氏の出した結論は、「朝食を抜くこと」だった。そうすれば、昼まではすべて「朝飯前の時間」、そこで行なうことはすべて「朝飯前」となって「はなはだ都合がよろしい」と言うのである。しかも外山氏は、遅めのブランチをとった後に昼寝をすることで、次に目を覚ましてから夕食までの時間を再び「朝飯前」にしてしまう。発想の転換とはこのことなり。おもしろい。

「だいたい、胃袋に何か入れたあとすぐ、頭を使うのはよくない。消化のために血液がとられて、頭はぼーっとする。」
食事をした後に猛烈な睡魔に襲われるのは、きっと誰もが経験あることだろう。それにしても徹底している。

そういえば、キユーピーの広告を長年手がけておられるコピーライターの秋山晶さんも、コピーを書くのはおなかに何も入れない午前中と決めている、とどこかで言っておられた。広告業界は一般に「朝遅く仕事を始め、夜更けまで仕事をする」というイメージが強いけれど、そういえば最近、朝型のクリエイターが増えているみたいだ。箭内道彦さん然り、佐藤可士和さん然り、佐野研二郎さん然り。佐藤さん、佐野さんは子どもが生まれてから朝型になったそうだ。確かに、子どものいる生活では、朝型のほうが仕事も家事もはかどる。

それにしても、意図的に「朝飯前」の時間を創り出すなんて、考えてもみなかった。早起きしたものの目が覚めず、「血糖値あげなきゃ」とか言いながらチョコレートをかじっているようでは、せっかく早起きしてもその本当の恩恵は得られないのかも、と反省。このごろまた夜型に戻ってしまっているのだが、「朝飯前」をもっと意識して活用するようにしてみよう。

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さてこの本、実は読むのは二度目だ。数カ月前に買ってすぐに読み、示唆に富んだ内容にずいぶん唸らされた覚えがあるけれど、そのときに感じたことを書き留めそびれたため、すっかり忘れてしまっていた。ここ最近読んだ「思考を整理し、ものを生み出す」ための本、たとえば『私塾のすすめ』だとか『子どもは判ってくれない』とか『思考のレッスン』とか『表現したい人のためのマンガ入門』とか…、とにかくそうした本を読んだ後、さて次はなにを読もうと本棚を見たら、この『思考の整理学』に呼ばれたのだ。なんだか、いまもう一度読んだほうがいい気がする、と。そしてその直感は正解だった。読み終えた後は見事に付箋だらけ。20年前に書かれたということに驚く。「考えること」について考えたい、その楽しさを満喫したい人にはとても楽しい本だった。

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)