働くことが希望になる
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』にこんな文章があった。
生きていくなら、お金を稼ぎましょう。
どんなときでも、毎日、毎日、「自分のお店」を開けましょう。
それはもう、わたしにとっては神さまを信じるのと同じ。
毎日、毎日、働くことがわたしの「祈り」なのよ。
どんなに煮詰まってつらいときでも、大好きな人に裏切られて落ち込んでいるときでも、働いていれば、そのうちどうにか、出口って見えるものなんだよ。
働くことが希望になる――。
人は、みな、そうあってほしい。これはわたしの切なる願いでもある。覚えておいて。
どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる、っていうことを。
ときには、休んでもいい。
でも、自分から外に出て、手足を動かして、心で感じることだけは、諦めないで。
これが、わたしの、たったひとつの「説法」です。
人が人であることをやめないために、人は働くんだよ。
働くことが、生きることなんだよ。
どうか、それを忘れないで。(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.234-235)
ひと月前に亡くなった母は、最後まで仕事をし続けていた。病気が見つかり、治療が始まってからも、入院と入院の合間に会社に行き、お客さんに会いに行っていた。手術直前の一時帰宅の時ですら、仕事をしていたという。
病に身体を蝕まれ、疲れやすくなっているのだから、ゆっくり休んでいればいいのに。なにも働かなくてもいいのに。母の姿を見てそう思っていたのだけれど、この文章を読んでハッとした。
“どんなときでも、働くこと、働きつづけることが「希望」になる”
母にとっては、働きつづけることはまさに希望だったのだ。自分を必要としてくれる人がいる、やらなければならない仕事がある、そのことがどんなに母の心の支えになっていただろう。生活の張りになっていたことだろう。働くことが希望になるということが、これほど腑に落ちたことはそれまでなかった。
今度は自分自身が出口を探しながら、そのことをしみじみと感じている。