子どもの頃の自分の傷つきを本当にわかっているのは自分しかいない

〜2008年6月21日の日記より〜
ダ・ヴィンチ』2008年7月号は「梨木香歩」大特集*1。梨木さんのロングインタビューが載っている。今日から映画が公開される『西の魔女が死んだ』について語るなかに、表題の言葉があった。

「つまりね、小さかった頃の自分の傷つきというものを本当にわかっているのは自分しかいないんですよ」
 梨木さんは続けた。
「その時のいろんな状況がわかっているのは自分だけで、人は本当にはわかってあげることができない。おばあさんになってすべてを俯瞰して見られるようになって、小さい頃の自分にあの時のあれはこういうことだったんだよと声をかけてあげられるのも、自分の延長線上の自分しかいないんじゃないかって。(後略)」

わたしはずっと、自分と母とはまったく似ていないと思っていた。父とも似てないと思っていたが、ここ数年自分を振り返るに、意識するとせざるとにかかわらず、父の影響を多分に受けてきたことを感じるようになった。けれども母とはちっとも似ていない、そう思っていたのだ。

だけどふと気づくと、わたしの顔は母の顔にずいぶん似てきていた。そして先日のある夜のこと。母とふたりで子どものころの話をした。わたしは感情表現がとりわけ下手な子どもで、いつも喜びを無邪気にワーイと表出できなかった。心のなかではとてもうれしくても、その感情をひっそりと自分のなかにしまいこんでしまい、うまく声に出して相手に伝えることができなかったのだ。

そんなわたしに、あるとき母方の祖母がこう言った。
「愛想のない子だねえ」

なにげなく漏らしたであろうそのひとことは、わたしの胸に突き刺さった。痛かった、とても。「うまく感情を表に出せないんです。けれど本当は、とってもうれしいんです」そんな言葉を伝えることもできなかった。

「痛かったなあ、あれは」
振り返ってわたしが言うと、母が少し驚いたように、
「そうだったの。お母さんも同じ。感情表現が苦手だったよ。おばあちゃんにそんなふうに言われたよ」と。
そして、
「おばあちゃんに、言えばよかったのに。うまく言えないだけなんです、って」。

母がわたしと同じふうだったなんて、そのとき初めて聞いて、わたしも驚いた。わたしと母の間にはその瞬間、同志のような感情が芽生えて、ふたりで「言えばよかったねぇ」と笑った。

梨木さんのインタビューを読んで、そのことを思い出した。
母はあのとき、わたしに「言えばよかったのに」と言いながら、少女の頃の自分を抱きしめていたのかもしれない。







* * * *

しかしわたしの知っている母は、明るくて社交的で、歌と駄洒落が大好きな、楽しいお酒を飲む人だった。
先日亡くなった母の思い出によせて。