西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』
お金の話をすることは、はしたないと言われる。確かに「お金がすべて」ではない。けれども、だれしも生きていかなければならない。生きるとは、生活すること。そして生活するにはお金が必要だ。だから、お金について考えるのは、とても大事なことなのだ。
西原理恵子さんの『この世でいちばん大事な「カネ」の話』は、「カネ」と生きることとの関係、そして「人が働くということ」についてやさしく問いかけながら、深く考えさせてくれる本だ。
- 作者: 西原理恵子
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2008/12/11
- メディア: 単行本
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なにかとても好きなこと、やりたいことがあるとする。本当にそれを続けたい、できれば一生続けたいと思ったら、それで稼げるようになるか、あるいは、なにかほかに稼ぐ手段を確保したうえで趣味として楽しむかのどちらかじゃないだろうか。
だれだって、生活していかなくてはいけない。お金は必要なのだ。なんらかの収入源は確保しなければ、好きなことをやる自由なんて得られない。そう思った時、先の選択肢が突きつけられる。
「それ自体で稼げるようになるか、ほかに稼ぐ手段を確保するか」
まずそれを考えなかったら、「できれば一生続ける」なんてことは不可能じゃないかと思う。
「どうしたら夢がかなうか?」って考えると、ぜんぶを諦めてしまいそうになるけど、そうじゃなくって「どうしたらそれで稼げるか?」って考えてみてごらん。
そうすると、必ず、次の一手が見えてくるものなんだよ。
数えきれないほどの出版社に必死で売り込みをかけるうちに、わたしも、そのことを学んだと思う。
「いいじゃない。お金にならなくても」ってやってるうちは、現実にうまく着地させられない。それこそ、ふわふわした、ただの夢物語で終わっちゃう。
そうじゃなくて、「自分はそれでどうやって稼ぐのか?」を本気で考えだしたら、やりたいことが現実に、どんどん近づいてきた。(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.93-94)
才能があるかどうかなんて、机の前でいくら考えたってわかるもんじゃないと思う。
わたしにとって「才能がある」っていうのは「それでちゃんとカネが稼げる」ってことだった。絵画は高尚なゲージュツだと思ってる人にしたら、「絵を描くこと」と「カネ」とを即、結びつけて考えるなんて卑しい、下品だと笑うのかもしれない。
でもね、昔描かれた名画だって、あれは「商売」の絵だったんだからね。レンブラントも、フェルメールも、貴族にお金をもらって肖像画を描いたんだから!
(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.88
わたしは、「書く」ということが好きだ。
そしてわたしはいま、ライターという仕事をしている。
けれども時折考える。ライターなんて、なくてもいい仕事だ。ライターがいなくても、だれの生活にも生命にも関わらないし、文章なんてだれでも書く。仕事として成り立つのが不思議なぐらいだ。
じゃあどうしてライターは、仕事として成り立つんだろう。それは、「求めてくれる人がいるから」だ。必ずしも実用目的だけじゃなく、なにか人の心を動かすという場面でも、求められる文章がある。お金を払ってでも必要とされる文章。それを書くのがプロなんだと思う。
書くということが自分の仕事になるなんて、少なくとも大学時代までは考えたことがなかった。けれども、経営不振で先行きが不安だった最初の会社を辞めた時、自分にあるのは「書く」という技術だけだった。その技術が自分にあるということすら、最初に入社した印刷会社でたまたま文章を書く部署に配属され、気づかせてもらった。
よく「自分に向いている仕事がない」って言う人がいるけど、食わず嫌いしてるってことも、あるんじゃないかな。やってみなきゃわからない、そんなことって、この世界には、いっぱい、あるからね。自分のことをやる前から過大評価してると、せっかくのチャンスを逃してしまうかもしれないよ。
(略)
だから、わたしは思うのよ。
「才能」って、人から教えられるもんだって。
いい仕事をすれば、それがまた次の仕事につながって、その繰り返し。ときには自分でも意識的に方向転換をしながら、とにかく足を止めないってことが大事。
そうやっているうちに、わたしにも、自分の道がだんだん、ハッキリ見えてきた。(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.108-109)
進む道なんて、ずっと見えているわけじゃない。時折、道に迷ったり、道を見失ったりする。だけどとにかく、足だけは止めなかった。たとえ蜘蛛の糸一本のつながりでも、たどり続けているうちに、わたしにもやっぱり、自分の道がだんたん見えてきた。目的に向かって一直線なわけでも、計画的なわけでもないこれまでの人生だけれど、自分が求められることに応えているうちに、道を見つけることができた。
「自分がやりたいことがわからない」という人は、やみくもに手探りをするよりも、このふたつの「あいだ」に自分の落としどころを探してみたらどうだろう。
「カネとストレス」、「カネとやりがい」の真ん中に、自分にとっての「バランス」がいいところを、探す。
それでも、もし「仕事」や「働くこと」に対するイメージがぼんやりするようならば、「人に喜ばれる」という視点で考えるといいんじゃないかな。自分がした仕事で人に喜んでもらえると、疲れなんてふっとんじゃうからね。
(略)
人が喜んでくれる仕事っていうのは長持ちするんだよ。いくら高いお金をもらっても、そういう喜びがないと、どんな仕事であれ、なかなかつづくものじゃない。
自分にとっての向き不向きみたいな視点だけじゃなくって、そういう、他人にとって自分の仕事はどういう意味を持つのかっていう視点も、持つことができたらいいよね。
自分が稼いだこの「カネ」は、だれかに喜んでもらえたことの報酬なんだ。
そう実感することができたら、それはきっと一生の仕事にだって、できると思う。(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.198-199)
ライターという仕事の良いところは、「だれかが喜んでくれること」を実感しやすいことだと思う。読者の反響が伝わってくることがもちろん一番響くが、取材先、編集者、一つひとつのプロセスで関わる人たちからの感想が伝わってくる。それは一方ではとても怖いことでもあるけれど(必ずしも良い評価とは限らないのだから)、しかしそうして「だれかが喜んでくれた」ことが伝わってきた時、この仕事をしていて本当によかったと思う。
「困っている人に手を差し伸べたい」
「読んでくれた人がうれしい気持ちになったり、元気になるような誌面を作りたい」
「だれかに喜んでもらいたい」
それは、自分がライターとして、時に編集者として仕事をする時のベースにある思いだ。
でも、独身時代、どちらかというとわたしは、自分のことはどうでもよかった。わたしにあるのは仕事だけで、生活が欠落したような日々だった。結婚、出産してフリーランスになった当初も、仕事の場面において家族のことを話してはいけないと気を張っており、自宅にかかってきた仕事の電話に子どもの声が聞こえてはいけないと神経を尖らせたりもした。
人が生きていくということは、もしかすると遠い遠い家路なのかもしれない。
働くことも、お金も、みんな、家族のしあわせのためにある。
わたしは、いま、そう思っている。(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.227-228)
家族をもったいまのわたしは、しみじみと西原さんの言葉に共感する。「子どもも仕事も」という生き方を、わたしは選んだ。働くことは、わたし自身を含めた家族のしあわせのためにある。そう思う。
それでもこの本を読むまではまだ、「あなたにとって一番大事なものは?」と聞かれたら、仕事か子ども(家族)のどちらかを選ばなくてはいけないと、肩に力を入れたまま悩んでいただろう。
巻末に「谷川俊太郎さんからの四つの質問」というページがあり、西原さんのこたえを見た。
「何がいちばん大切ですか?」
かぞくとしごと。
(西原理恵子『この世でいちばん大事な「カネ」の話』理論社,2008.12,P.236)
あ、そうか。
どちらかを選ばなくてもいいんだ。
だって、どっちも「生きる」ということなのだから。
この本を読みながら自分にとってのカネ、そして仕事というものについて考えを重ね、最後にこのページを目にした時、ストンとそんなふうに思った。
選ばなくてもいいんだ、と。