「村野藤吾 ・建築とインテリア ひとをつくる空間の美学」展

パナソニック電工 汐留ミュージアム*1で本日まで開催中の展覧会「村野藤吾 ・建築とインテリア ひとをつくる空間の美学」を、先日観てきた。

 ヒューマニズムを基調とする独創性に富んだ作風を特徴とし、近代日本の建築界でつねに重要な位置を占めてきた村野藤吾(1891-1984)。戦前の先駆的なモダン・デザインから大胆な造形と繊細な表現で注目を集めた戦後の数々の作品まで、村野藤吾は絶えず自在にスタイルを操り、都市の顔をつくり続けました。

 もっとも、彼の建築へのアプローチ、美意識、そして信念が凝縮してあらわれているのはインテリア空間ともいえるでしょう。戦争直前に手がけた艤装(ぎそう)から、海底を思わせる幻想的な劇場空間、もてなしの心に満ちたホテルの客室や茶室まで、いずれも一見気づかないところまで深く考え抜かれたディテールと、職人たちの細やかな手仕事によって、魅力的な空間がつくり出されています。また、そこで出会う家具やファブリックなども全て建築家自身によってデザインされ、ときにはちょっとした遊び心を交えながら、使うひとの情緒に働きかけます。そして遺された図面や模型からは、建築家とスタッフ、また職人たちとの間で繰り返し練り直された意匠の制作過程がうかがわれます。さらには自邸の庭と最晩年の谷村美術館に建築家の内なる世界の反映を見て、展覧会をしめくくります。

 本展は図面、写真、模型、家具などから村野藤吾の建築とそのインテリアを展覧します。また初の試みとして、戦争で幻と消えた客船のインテリアを3DCG 映像によって再現します。加えてスケッチ帳や日記、記録写真や建築経済に関する研究資料などから、その活動と幅広い思考の一端をご覧いただけるでしょう。

http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/08/080802/

彼の建築作品で最も印象的だったのは、糸魚川にある谷村美術館*2だった。大地から生えているかのような、もともとそこにあった岩山をくりぬいて作ったような、自然のなかに溶け込んだ建物。白い洞窟のような展示室のなかにたたずむ仏像たち。ぜひ一度観に行き、その空間に身を置いてみたい。

村野は「境界線のデザイン」*3「さわりのデザイン」ということを言っている。

村野はものとものとが接する境界線のデザインについて、そこをぶつかり合わないで共存するようなディテールにすれば、その建物で生活する人びとの心がなごみ、人と人の心の触れ合いも平和になるのではないかと語っている。

(『村野藤吾ーー建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』展覧会図録,アーキメディア,2008.8.1,P.50より)

村野建築の柱や桟にしばしば見られる面取りは、彼が角を好まず、ものを柔らかくつくることにこだわったことの現れであるが、椅子やドレッサーについても、機能は勿論のこと手の感触の良さを優先したクラシックなデザインが採用されており、村野の「さわりのデザイン」を体現している。

(『村野藤吾ーー建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』展覧会図録,アーキメディア,2008.8.1,P.82より)

谷村美術館は、村野が考えていた「境界線のデザイン」、建物と大地とがぶつかり合わず共存するかたちを極めたもののように感じる。村野藤吾92歳、最後の作品。油粘土でつくられたごつごつしたスタディ模型ですら美しかったのは、彼の祈りがそこに込められているからに思えてならない。

村野は昭和4(1929)年に個人事務所を設立するも、世はやがて戦争となり、ふたたび建築らしい建築の仕事ができるようになったのは終戦後(昭和20(1945)年)のことだった。彼の主な仕事は、60歳を過ぎてからのもののほうが多いそうだ。

(略)何か一つことを長く続けるということですね。これが将来を決するもとになるんじゃないかと自分では考えております。およそ芸と名のつく仕事ーー音楽にしろその他のことにしろ、そういう仕事に携わる人は同じような考えじゃないでしょうか。(略)私の経験からいえば決して失望することはない。自分に力量がありさえすれば、必ず花が開く、と私は信じて疑いませんし、渡し自身のつたない仕事からいえば、60過ぎてからの量が多いわけです。(後略)

(『村野藤吾ーー建築とインテリア ひとをつくる空間の美学』展覧会図録,アーキメディア,2008.8.1,P.25より)

だからこそ、一つことを成したいのであれば長生きをせよ、健康に注意せよとと彼は言う。「長く続けている」間は先が見えず、つい不安にとらわれる。けれども、ひたすらに続けて花を咲かせた先達の力強い言葉に触れると、勇気がわいてくる。

*1:http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

*2:谷村美術館 http://www.hisuien.com/tanimura_museum/index.htm

*3:ルーテル学院大学(東京都三鷹市)の建築に対する解説より。同建築は「建物が大地より生え出る」あるいは「大地へと還ってゆく」というイメージにふさわしく、建物の足元はまるで樹木の根もとのように自然に大地に溶け込んでいるという。