池田晶紀個展「太陽とみどり」

KANZAN あきち(仮)」で開催されていた写真家・池田晶紀さんの個展「太陽とみどり」を観てきた。


七五三、成人式、結婚式など人生の晴れ姿を記録する写真館。
そんな写真館の息子として育った池田が、2003年からはじめたシリーズ『休日の写真館』は、
日常風景に少しの演出を加えながら、撮影対象との関係性の中で生まれる
その時その場でしか生まれない偶然、「物語」が生まれる瞬間を切り取った、新たなカタチの記念写真です。
そんな池田が新たに試みるシリーズが『太陽とみどり』です。

http://www.kanzan.jp/special/index.html

池田さんの写真は、絵画のようだ。
それは写真家が演出し、絵をつくりこんだ「ステージフォト」だからだろう。まるで写真という画材で絵を描いているようである。

しかし同時に池田さんの写真は、絵画のようではまったくない。
演出された非日常的な風景が描かれているとしても、そこに写っている人ーー子どもたちが、女の子が、おじいさんやおばあさんたちがーーだれもが生き生きとした、とてもいい顔をしているからだ。その表情には演出はない。池田さんを信頼し、心を許して、まったく壁がない。

池田さんは「太陽になりたい」と願っているのだと、展覧会場にメッセージが掲げられていた。

太陽のように、みんなに平等で自分に真っすぐなひかりを照らし続ける、そんな存在に憧れを持ち、自分もそうでありたい、そうなりたいと願うようになった。太陽は男である。ぼくはそう思っていて、自分と照らし合わせた存在ととらえ、どこかの国のだれかに、そのひかりを照らしていくということが、写真家である自分と一致しているが如く、そんな強い気分にさせられる。

(展覧会場に掲げられていた池田さんの言葉より抜粋)

でもわたしは知っている。二度ほど仕事でご一緒した池田さんは、すでに太陽のような人だった。池田さんのいる現場は、笑いに包まれる。気がつくとずっと前から知っている親戚のお兄ちゃん*1みたいな壁のなさで、一緒に話を聞いている。『デザインのひきだし』で清水金之助さんを取材した時*2の池田さんは、まったくそんなふうだった。そして心身ともにリラックスしているような様子でありながら、頭のなかでは高速回転で、いかにして写真を撮るか、考えをめぐらせているのだ。

池田さんが子どもを撮影しているところを見たことはないけれど、この人ならば、子どもはきっとすぐになじんで心を開き、ふだんどおりの姿を見せるだろうなと思う。

だから池田さんの写真に写っている人たちは、だれもがみんな、こんなにいい顔をしているんだろう。

絵を作り込んだ写真でありながら、ありふれた日常のなかのささやかな幸せを感じさせるような、ふしぎな展覧会だった。