あたし彼女 読んだ みたいな/けっこう面白い みたいな/てか/このタイトル 何人目だっつーの!

第10回日本ケータイ小説大賞の大賞受賞作品「あたし彼女」が話題沸騰ですね。この文体を真似たタイトル/エントリー/コメントが、受賞発表後に一体いくつ書かれたんだろう? ご多分に漏れず、わたしも書いてみたわけですが。

これまでケータイ小説ってまったく読んだことがなかったのです。興味もありませんでした。それがまんまと読むことになったのは、きっと多くの方と同じく、瀬戸内寂聴さんが86歳にしてケータイ小説を書いていた! しかもこっそりと! というニュースを読んだからです。*1

すごいなあ、これ、「源氏物語千年紀」とケータイ小説大賞と毎日新聞とのタイアップだったわけですね。まんまとしてやられたわけだ。しかもそのタイアップに「わくわく」しながら乗っかってしまう寂聴さんがすごい。なんて軽やかな86歳なんでしょう。そして、さすがに読ませます。冒頭を読んで「ちょっと懐かしい感じ。なんとなく『ホットロード*2を思い出す」と思ったけれど、読み進めるにつれ、これはやはりある程度の社会経験を積み、世のことわりや仕組みを知らなければ書けない小説だと感じました。感想ノートでのやりとりも、プロ根性を感じさせます。

さて、「あたし彼女」。

最初は「みたいな」を乱用し、単語ぶつぎりで改行を重ねていく文体に面食らって、「なんだこの頭の悪そうな文章は? というか、これは小説? そもそも文章なのか?」とものすごく抵抗があったのですが、どんどんスクロールして読んでいくうちに、独特のリズム感になじんでいくのを感じました。読み終えたあとにネット上でいくつもの反響コメントがこの文体を真似しているのを読み、ああそうか、この著者は文章のリズム感がいいんだ、と気がつきました。真似たコメント類は改行や言葉の並べ方のリズムが悪くて、ひっかかりができてしまってる。でもオリジナルは言葉の並べ方とか改行での区切り方がいいし、韻を踏んでいたりして、よくよく読んでみると、実は結構すいすい読める。

内容は、正直言って陳腐です。「ベタドラマ」ならぬ「ベタ少女漫画」的な展開。料理のできない女の子が彼氏を喜ばせるために一生懸命、料理の練習をしてきて、彼氏の家でいざ挑戦。彼女の手をよく見れば、切り傷や火傷のあとがいっぱい……。ふつう、料理、それもしょうが焼きの練習してて手が傷だらけにはならないよ!とツッコんでしまう場面ですが*3、これってある意味、少女漫画のお約束ですよね? 「眼鏡をはずしたら実は美少女」的な、現実だったらありえねーと思ってしまうけど漫画の世界では成り立っている、わかりやすい「お約束」*4

お互いが自分自身のなかだけで勝手にあれこれ悶々と悩み、考えてとる行動は、相手の思いとは微妙にずれているから、ぎくしゃくとしたすれ違いの原因になっていく。ああ、若いころの恋愛にありがち。身に覚えもなきにしもあらず。

ストーリーの終わりどころ、引き際がよくなくて、最後、冗長な感じも否めませんが、恋にここまでのめりこめる若さっていいわね〜なんて思いつつ、ちょっとじんわり来た場面も。

まあ内容はさておき(おくのか)、この小説は、この文体を開発したことがすごいなと。
最初にリズム感について書いたけれど、もう一つ、彼女の感覚でおもしろいなと思ったのは「ページネーション」*5の感覚なんです。
ページ割。ページ構成。
そういう感覚において、「あたし彼女」はウェブ上の小説より書籍に近い感覚で作られているかもしれません。

あたし彼女」を読んでいくと、ほんのひとことしか載っていないページや、空白ページなんていうのも使われています。これも著者なりのリズム感から生まれているんだと思うけれど、こういう表現がおもしろい。ケータイ小説独特の表現形態なのかな?と思ってほかの作品をのぞいてみたら、そういうわけじゃないんですね。ということは著者独特の感覚なのか。この著者、詩集や写真集みたいなものを編集してみたら、案外おもしろいものを作るかもしれません。

最初に見たときには「日本語になっていない」と思ったので、正直なところ「これが大賞なら、ほかの作品はさぞかし……」という気持ちがわたしにもありました。でも、ケータイ小説大賞の、ひいてはケータイ小説のプロモーションとしてインパクトを強め、話題性を打ち出すには、これくらい突き抜けた、賛否両論わき起こるような作品が必要だったのかも……と思えてきました*6

だってこの賞、今回で3回目らしいけれど、これまでの2回のことはまったく知らないですもの。ケータイ小説のもともとの読者は知っているのかもしれないけれど、少なくとも、「ケータイ小説? 読む気しないなー」というわたしのような層の人たちはきっと知らない。それが、これだけ多くの人に読まれている。他の作品を見てみれば、大賞作品ほど日本語を破壊していないけれど、ここまでのインパクトはない。だからほかの作品が受賞していたらきっと、ケータイ小説に関心のない人たちにはまったく話題にのぼらないニュースのままになっていたことでしょう。

……といって、この文章を手放しに賞賛はできないのですが、一つの表現形態だなと思うし、新たなメディアの登場に影響を受けた文体や構成の仕方が生まれるという現象は興味深いなと思う次第です。

ただ、こういう表現形態をとる人は一人いれば十分。二匹目のどじょうはいりません。そして、主人公の半径5mくらいのことしか書き込めない「あたし彼女」に対し、「あしたの虹」の書き込みの深さ豊かさに、文章の力を再認識した出来事でもありました*7

*きっと登場すると思っていたら、もう作られてた(笑)仕事速いですね〜。「あたしブログジェネレーター」http://labs.spicebox.jp/p/atashi/

*1:http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080924/bks0809241811003-n1.htm

*2:紡木たくの少女漫画。

*3:しかも失敗の理由が「水入れなかった」。水は入れないよ。わたしは塩コショウもしない。でもまあ、料理しなかったらわからないし、この場合そのへんは些末なことなのかもしれません。

*4:しかしわたしの世代(三十路それも後半)で「少女漫画のお約束」と感じることが、はたしていまの若い人たちにとっても同じなのかはよくわかりません。このあたり、若い子向けというより、微妙にわたしたち寄りな感じが。

*5:「ページネーション」とは。http://www.print-better.ne.jp/story_memo_view/tubo.asp?StoryID=7732

*6:せんとくん」騒動と同じ。あのプロモーション効果はすごかったですものね。

*7:比べるのも失礼な話ですが。