原稿用紙100枚、どうやって書きあげる?

齋藤孝著の『座右のゲーテ』で一番最初のノウハウとして紹介されているのが、「小さな対象だけを扱う」だ。壮大なテーマや膨大な量に取りかかろうとするとき、なにから手をつけてよいかわからず途方に暮れたまま、一歩も動けなくなってしまうことがある。そんなときに思い出したいのが、このノウハウである。

小さな対象だけを扱うーーエネルギーをうまく使うコツ

ゲーテの言葉に、こういうものがあるそうだ。

一番よいのは、対象を十か十二くらいの小さな個々の詩にわけて描くことだろうね。(中略)こんな風にこまぎれにわけていけば、仕事は楽になるし、対象のさまざまな面の特徴をずっとよく表現できるね。その逆に、大きな全体をまるごと包括的につかもうとすると、必ず厄介なことになって、完ぺきなものなんて、まず出来っこないさ。
齋藤孝座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)』光文社,2004.5.20,P.14/原典は『ゲーテとの対話』(岩波文庫)上巻 P.83)

これを受けて齋藤氏は、自身の経験をこんなふうに語っている。

私は、二年近く修士論文を一字も書けなかったという経験もしている。これもまた、人類史を覆すような思想をつくりたいという泥沼に嵌りこんでしまい、空回りしたままどうにもならなくなってしまったためだ。
 考えてみれば、もとになっている大きなイメージをいくつかの段階に分けて、たとえば二から三カ月ごとに三十枚程度の論文として仕上げるようにしていけば、無理なく完成に向かったはずなのである。痛い思い出だ。
齋藤孝座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)』光文社,2004.5.20,P.15-16)

この部分を読んですぐに、自分が卒論を書いたときのことを思い出した。そういえば、幸いなことに、「400字詰め原稿用紙100枚以上」というそれまで書いたことのないような量の論文を書くのに際し、この「対象を小さく分ける」ということを徹底して指導されたんだなあと。つまり、わたしが受けたのはこんな教えだった。

長い文章を書くときは、なにはさておき「目次作り」から。

とにかく、繰り返し何度でも目次を作って提出するよう言われた。目次を作るということはつまり、これから100枚以上を使って書こうとしている内容を細分化し、それを組み立てる順序を考えて、構成を作るということだ。

取りかかりはじめのときは、目次作りもひと苦労。なにしろ内容がよく見えていないのだから。それでもなんとか練り上げて、それに対して意見をもらう。そうしてある程度、流れが見えてきたら、全体を見ながら書き始めるのではなく、一節ごとの内容に集中して書いていく。

100枚だと途方に暮れてしまう場合でも、5枚程度ならそれほど迷わずに書くことができる。それを積み重ねることで、100枚以上の論文が出来上がっていく。

書籍1冊分を書いたときもこの方法をとった。書籍だと200枚以上は必要になる。いきなり書こうとしても書けっこない。急ぎであればあるほど、目次をじっくりと作ることで、文章を書く負担をぐっと減らすことができる。

余談だけれど、いくつも悩みを抱えているように思えて気が重いときに、悩み事を一度書き出して、一つひとつ対処法を考えようとしてみると、意外にどれも大した悩みでないとか、思ったより悩み事が少なかった、ということがある。「悩んだら書き出せ」というノウハウも、「細分化して整理し、エネルギーの注ぎどころを明確にする」という面で、この「小さな対象だけを扱う」というノウハウと通じているような気がした。

小さな達成を積み上げて好循環を生み出す。

そんなふうに、もうずいぶん昔の卒論で身につけたことを思い出すうち、ささやかながらもこういう時に自分なりに持っているノウハウに思い至った。

昨年度から昭和のくらし博物館の企画展示を作るための勉強会に参加しているのだけれど、この勉強会の場合、数カ月おきの中間発表を積み重ねて、最後に展示内容や図録、書籍といった形に収束させていく。このように中間発表の積み重ねでまとめあげていく場合、わたしはそのつどレジュメに担当テーマのタイトル、リード、目次(内容構成案)、次回の予定を書くというのを自分ルールにしている。

目次を毎回書くのは、先述のとおり、「取り組むべき小さな対象」を整理するため。そして次回の予定を書くのは、次に自分が取り組まなくてはならない課題を記録しておくため。中間発表のためのレジュメをまとめたときが一番、「次回の課題」を明確に把握しているもの。だからその時点で思った次なる課題を、忘れないように書き留めておく。齋藤氏も、こんなふうに書いている。

このやり方は、小さな達成一つ一つを積み上げて大きな成果へつなげるという好循環を生み出すだけでなく、そのつど次は何をすればいいかというステップも自然に見えてくるのがすばらしい。
齋藤孝座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)』光文社,2004.5.20,P.19)

さらに、毎回リードを書くのは、コンセプトを確認し、方針を定めるため。
リードはすなわちコンセプト。リード文が書けないということは、企画ができていないということに等しい。だから、どんな企画書を作る場合にも、リードは必ず書くようにしている。

このやり方で進めていくと、最終的にレジュメを見返せば、原稿の流れがおおよそできあがっていたりする。

もしかすると至極当たり前な常識なのかもしれないけれど、自分自身がこれまで文章化せず(つまり明確に意識せず)行なってきたことを整理するために書いてみました。『座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)』の内容からは離れてしまったかも。こちらの本に関連することは、多分いずれまた書きます。