「プラネテス」1〜4 幸村誠

プラネテス(1) (モーニング KC)

プラネテス(1) (モーニング KC)

使用済み衛星や太陽電池…増え続ける宇宙ゴミデブリ」=「宇宙空間にあって役割を果たさない人工物体の総称」の回収業者に勤める宇宙船員(ふなのり)のハチマキは、いつか自分の宇宙船を持つことを夢に、日々、宇宙でゴミ拾いに励んでいた。高倍率の超難関テストを乗り越え、夢の足がかりとなる木星往還船乗組員に選ばれたとき、彼は宇宙を前に、なぜ自分は宇宙を目指すのか、自分とは一体何なのかという思考の闇にとらわれてしまう。自らの存在価値さえ崩れ去ったような不安と恐怖との先に見えた光は、「オレの宇宙はちっぽけだったんだ」という気づきだった。

……ああ
ああ そうか
かんたんなことだったんだ

オレの宇宙はちっぽけだったんだ

この世に
宇宙の一部じゃないものなんてないのか

オレですら
つながっていて

それではじめて
宇宙なのか

幸村誠プラネテス』2巻,講談社,2001 P.245)

ーー「宇宙」と聞くと、自分にはとても手の届かない、なにかはるか彼方遠くのもののような気がしてしまっていた。とてつもなく広大で、果てのない、はかりきれないもの。それはもちろん間違いではないが、その宇宙は実は手の届かないものなどではなく、まぎれもなく自分とつながっているのだということ、自分が暮らしているここもまた宇宙なのだと痛感させてくれる物語だった。

宇宙は手の届かないものではなく、ちっぽけなもの。自分とも確かにつながっている世界。この宇宙に自分と関係のない人間なんて一人もいない。

ハチマキの苦悩を見ていて、10〜20代のころの自分を思い出した。「何でもはっきりさせたがりすぎ」て、しきりに悩んでいたあのころ。
“自分に何の価値があるのか。”
“もしも自分が死んでしまったとしても、だれにも何にも影響を与えない。”

いま思えばとても甘ったれた悩みだけれど、あのころの暗闇という宇宙を抜けた先に、「人は一人では生きられない。一人きりで生きているわけじゃない」という光がある。その気づきを経て、人は人を愛し、優しくなることができる。「プラネテス」は宇宙に生きる未来の人たちを描いた物語だが、決して絵空事ではなく、わたしですら宇宙とつながっているというとても大切なことを気づかせてくれる漫画だった。