「井上雄彦 最後のマンガ展」

上野の森美術館で開催されている「井上雄彦 最後のマンガ展」*1を観に行ってきた。この日のために『スラムダンク』そして『バガボンド』を全巻読破したのだ*2。前売り券を買って行こうと思っていたのに、なんと25日で販売終了していた。し、しまった…。1日間に合わず(買いに走ったのが26日だった。遅いよ!)。

仕方がないので覚悟を決めて、当日券が発売になる9:30より早い現地到着を目指すことに。なんだかんだで結局着いたのが9:20。当日券購入、入場待ちともすでに行列ができている(開館は10:00)。わーん。とにかく当日券の列に並ぶ。思ったより早く、9:40頃には当日券をぶじ購入。それから今度は入場待ちの列へ。そしてその1時間後には入場できた。がっつり並ぶつもりで本など持って行っていたから、それほど苦にはならなかった。

さあ、いよいよだ。ドキドキしながら、会場に足を踏み入れたーー。

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詳しい内容はもちろん書かない。書けない。

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ーー美術館を丸ごとマンガにするという試み。

マンガにはコマ割がある。コマとコマの間にあることは描かれない。その「描かれない部分」つまり「行間」の存在が読者の想像をかきたて、そこに絵や言葉として描かれている以上のことを読者に伝える。

そのマンガの「行間」が紙という平面を飛び出し、「空間」が加わるとどうなるかーー。光が、空気が、闇が、空間が、絵とともに、あるいは絵と絵の間に、まわりに存在する。廊下を歩き階段をのぼりくだる、観る者は肉体を動かしながら作品とともに時を進む。五感すべてを使い、作品とともに時を歩んでいるうち、しだいに武蔵と同じ世界を生きているかのような錯覚に包まれていくーーいや、それは錯覚ではないのだ。私たちは確かに、武蔵が生きた同じ世界を生きているのだ。

「この時、この場限りの空間マンガ。」
いずれこの全作品は本に収録される。けれども、本になった時に失われる「空間」の効果は、あまりにも大きい。間に合ってよかった。観に来てよかった。開催期間はあと1週間。もし迷っている人がいたら、「なにがなんでも観にいったほうがいい!」と背中を押します。

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バガボンド』を通し貫かれているもの、それは武蔵の「なぜ俺は生まれたんだ」「俺は生きていてもいいのか」という痛いほどの思い。武蔵は剣の道を通して、自らの「生きる意味」を狂おしいほどに求めた。「最後のマンガ展」を観ながら、武蔵のその悲痛な叫びが聞こえてくるようで、何度も泣きそうになった。

そんな時、マンガとはパーソナルに楽しむものなのだと改めて感じた。本としてのマンガは自分の手元に置き、ほとんどの場合たった一人の状態で読まれる。周囲に人がいたとしても、読んでいる間はその存在は認識されない。しかしこの「空間マンガ」では、作品の世界に深く入り込みながらも、不特定多数がともにそれを観ているのだという意識からは逃れられない。観る者の熱気でさえ作品の一部となっていることが特徴とも言えるけれど、「自分ただ一人」で読んでいる時のように思うように泣けないことをもどかしく思う時もあった。

ーー展覧会を見終わって。きっと武蔵は救われたのだと、強く思う。『バガボンド』の作中*3、小次郎が恐るべき強さを手に入れるきっかけとなった巨雲との闘いで、斬り合いながらも巨雲が「小次郎俺たちはーー/抱き締めるかわりに斬るんだな」とつぶやく場面があった。ーー井上雄彦は「抱き締めるかわりに描く」のだ。『バガボンド』そして「最後のマンガ展」を描くことで、井上雄彦宮本武蔵という男を抱きしめたのだと思った。

本当に素晴らしかった。

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お楽しみはまだまだある。展覧会後に見ようととっておいたものたちがこんなにあること、そうやって余韻に浸れることを、とても幸せに思う。

*1:公式サイト http://www.flow-er.co.jp/

*2:展示内容は『バガボンド』だけなので、『スラムダンク』は読んでいなくても楽しめる。あくまでも個人的に読んでおきたかっただけ。

*3:20巻末