「冒険王・横尾忠則」展を見てきた

開催前から必ず行こうとチェックしていた世田谷美術館横尾忠則展。会期終了まであと2週間というところで、ついに行ってきた。

「冒険王」。アート界を走り続ける横尾忠則(1936年〜)に、これ以上ふさわしい称号はないだろう。1960〜70年代の鮮烈なグラフィック・デザイン、1980年代の“画家宣言”、昨今は“隠居宣言”のかたわら小説家デビューと、話題多きこの作家については今まで無数の展覧会が開かれてきた。だが意外にも、彼の「冒険」に正面から切り込んだものはない。<冒険王・横尾忠則>は、初公開の60年代グラフィック原画から、冒険的物語がテーマの最新作まで、およそ700点が全館に展開する“血沸き肉躍る”一大絵巻なのである。

企画展 | 世田谷美術館 SETAGAYA ART MUSEUM

「遊び心」と「事件の予感」に満ちた展覧会だった。絵のなかに確かに物語があり、いまにも事件が起こりそうな予感にざわざわと気持ちを揺すぶられて、その前から離れられなくなる。絵の世界にいざなわれる。

「Y字路」をモチーフとしたシリーズは特にその感覚が強かった。Y字路のまんなかにたたずむ家の取り残された感じに胸を締めつけられ、Y字路で二股に分かれ画面の奥まですーっと伸びてゆく「先の見えない道路」に事件の予感を抱く。さらに、二股に分かれた道の両側には同時に存在しえない異世界が描かれていたりもする。どうにも胸がざわつく。かと思えば「竹馬座」のような叙情的な作品もある。とにかく目が離せない。

冒険は異界に接触しようとする肉体の旅である。

という横尾氏の言葉が、展覧会場にあった。たとえば「橋をわたる少年少女」のモチーフが「ありふれた行為がいつでも未知の世界につながっていることを伝えてくれる」ように、「Y字路」シリーズは、ありふれた風景がいつでも未知の世界とつながっていることを見る者に伝えてくれる。

同じく展覧会場の解説に、

幼年時代からの膨大な視覚的記憶を抽出して再構築を行う横尾の視線

という言葉があった。視覚的記憶に加えて、文学や芸術に関する圧倒的知識までもがともに抽出され、再構築されていると感じた。自らの作品に一度登場したモチーフが形を変えて何度も登場し、さらなる再構築を重ねる。「再構築」は横尾作品を語るときに大切な一つのキーワードかもしれない。

1960〜70年代のグラフィック原画が多数展示されていたのも、印刷好きにはうれしい限り。

展覧会図録を購入して帰る。チリのない箱のような外観。章タイトルの欧文タイポグラフィが楽しく、本文組みは美しい。クレジットを確認すれば工藤強勝氏のブックデザインで納得。
いい休日だった。