わたしはカメ。

…と言っても、別に「スチュワーデス物語*1を思い出したわけではなく(古!)。

わたしはこれまで、自分というライターのことをよく「イタコのようなもの」とたとえていたのだけれど、今日、ある人と会話をしていて、ふっと「わたしはカメのようなものかもしれない」というイメージが浮かんだのだ。カメといっても「亀」じゃなく、「甕」。

甕のなかは最初空っぽでなにもないのだけれど、そこに米や麹、水といった材料を入れるとやがて発酵が進み、バラバラだった材料は「酒」としてひとつになる。それと同じように、自分という器のなかにはなにもないけれど、そこにいろいろな人から聞いた言葉や目で見たもの、調べたことという材料が入ると、やがて甘美なる酒としての文章が醸し上げられる。そんな存在が理想だなあと思ったのだ。甕は密封容器ではなく、その陶器の肌が空気を通すというところも、とてもいい。材料を咀嚼するのに時間を要するところなんて、自分にそっくりだ。そんなライターでありたい。

「そんなふうでありたい」のだから、「わたしは甕です」というより「わたしは甕でありたい」という願望か。でも、このたとえはきっとわかりにくいだろうなあ。突然「わたしはカメになりたいんです」なんて言われたら、相手は「亀になりたいだなんて、この人は何を言っているんだ?」と訝しく思うだろう。そうは言いつつ「甕」はなかなかぴったりな表現だぞ、と、ひとりごちる夜。

そんなわたしは『もやしもん』未読。これはやはり、緊急課題図書でしょうか。