原点

思えば、なにか話を聞きたくて訪ねたおじいさん、おばあさんの目を見、手に触れ、深みのある言葉を聞いたことが、どこか自分の節目につながっている。

たとえば、自分の「初心」「原点」ということを考える時、いつも心に浮かんでくるのは、あるおじいさんの目だ。それは、深い悲しみと諦めをたたえた、胸が締め付けられるような目だった。

大学4年の時、卒論のための取材で、ある土人形師のおじいさんに会いに行った。古くからお正月やお節句の飾り用につくられてきた土人形。おじいさんはその伝統工芸の技を継いで、その土地で独り土人形をつくり続けていた。お会いした時には確か80歳を過ぎていたと思う。

土人形が人々の生活にとってどんな存在であったのか、現代においてはどうなのか、そんなお話を伺いながら、ふと、後継者について尋ねた。
「息子は違う仕事に就いた。市が工房を作り、市民に教えてはいるけれど、後継者という形では、だれもいない」
そう答えたときのおじいさんの目は、深い悲しみと諦めをたたえていた。

取材から帰った後も、おじいさんのその目が忘れられなかった。自分にできることは何だろうと考え続けた。後継者になることが、おじいさんにとって一番うれしいことだろう。でもそれは自分の道ではないと感じた。

至った結論が「書くこと」だった。書くことで、土人形やおじいさんの存在を伝えられる。たったそれだけだが、それもなければ、もしかしたら伝わらないかもしれない。忘れられてしまうかもしれない。

感銘を受けた人やものごと、大好きな人やものごと、失われてほしくない人やものごと、そういうことに対してわたしができるのは「書くこと」だけだ。たったそれだけだけれども、それがわたしのやるべきことなんだな、と思った。

それが、自分が書き続けることになった原点なのだと思う。

心に迷いが生まれたとき、書くことが辛くなったとき、自分の進むべき道が見えなくなったとき、いつもわたしは、おじいさんの目を思い出す。