「活字の組み方で理解度が変わる」

丸谷才一氏の『思考のレッスン』を読んでいたら、活字の組み方と理解度について語っている部分があった。興味深いので抜粋。

ー(略)丸谷さんの読書法は尋常ならざるところがあって(笑)、いつも驚いたり感心したりですが、その一つは、丸谷さんが同じ本をいくつもの違う版で読んでいることです。以前、丸谷さんから、日本の古典を読むとき、同じ本でも版が違うとひどく読み難いとうかがったことがありました。
丸谷 たとえば『古今』を読むなら、窪田空穂の本で読むのが僕は一番好きです。岩波の「日本古典大系」版の『古今』は、どうも読み難い。活字の組み方も悪いし、注釈もなんだか事務的な感じで、簡単すぎてよくわからない。それにくらべると窪田空穂の注は、心がこもっているようでいいなあと思って読んでいました。
 同じ岩波でも、「新日本古典文学大系」の小島憲之・新井栄蔵両氏の注はいいですね。組み方もいいような気がします。
丸谷才一思考のレッスン』1999,P.163)

丸谷 不思議なもので、活字の組み方がいいと、すっとわかるときがあるんですね。もちろん、読みやすいから、理解も進むということもあるでしょう。でも、それだけじゃないのが不思議なんだなあ。たとえば、これまで本の左頁に載っていた歌を読んで、どうもよくわからなかったのが、版が変って右のページになったとたんにわかるようになったりする(笑)。エディションを替えて読むと意外な発見をすることがあるんですね。
 単行本で頭に入らなかったら、文庫本でためしてみるとか、一回ゼロックスに取って読んでみるとかーー。ことに拡大コピーは具合がとてもいい。もっともこれは、僕の老眼がひどくなってきたせいかもしれないけどね(笑)。
丸谷才一思考のレッスン』1999,P.165)

古典のようにさまざまな出版社から出ている作品は、こういう比較がしやすくておもしろそうだ。祖父江慎さんの『坊ちゃん』文字組み研究のように。組み方が違うと、誌面の印象ががらりと変わるものな。「組み方がいい」「悪い」と言われているものが実際にどんな組みなのか、いまのわたしたちが見ても、その感じ方ははたして同様なのか。

思考のレッスン (文春文庫)

思考のレッスン (文春文庫)