野暮な情熱

この場の活用の仕方について考え方が変わったきっかけの一つは、数カ月前に梅田望夫氏のウェブ時代をゆくを読んだことだろう。フリーランスとして仕事をしていくうえで、勇気づけられたり、ヒントをもらったり、とにかく名言があちこちに散りばめられた1冊だった。

ウェブ時代のいま、本人さえその気になれば、そしてウェブをうまく活用すれば、「好きを貫いて生涯を送ること」を実現しやすくなっているのだと梅田氏は言う。ではそれを実現するためにどのようなことが必要なのか。いくつかの方法が書かれているなかで、ちょうどこの本を読み始めたときに考えていたこととリンクすることが書かれていた。

アントレプレナーシップの真髄とは、「自分の頭で考え続け、どんなことがあっても絶対にあきらめない」ということに尽きるのだ。「勝った者」とは「勝つまでやった者である。一つの専門を極めることは、とにかく長い長い終わりのない道のりである。

「できるから」ではなく「好きだから」でなくては長続きしない。だからこそ、対象をどれだけ愛せるか、どれだけ「好き」なのかという「好きということのすさまじさ」の度合いが競争力の源泉になる。

(前略)「「好き」を見つけて育てるための思考法は何かないのだろうか。(中略)
 突き詰めて言えばそれは、戦略性と勤勉ということに行き着く。自分の志向性に正直になり「好き」を見つけるための努力をこつこつと続け、「好き」なことの組み合わせを見つけたら(創造的な組み合わせが見つかればサバイバルできる確率は高くなる)、面倒なことでも延々と続ける勤勉さと、それを面倒くさがらない持続力がカギを握る。


読み終える少し前に、小泉和子先生(昭和のくらし博物館*1館長)にお会いした時*2、先生が話されたことがちょうど印象に残っていた。
「学者ほど結果を出しやすい職業はないのよ。コツコツやりさえすればいいんだから」
先生はいとも軽々とそう言ったのだ。

この人はすごい、かなわないなと思う仕事(質においても量においても)をしている人を見ると、たいていが「好きということのすさまじさ」と「コツコツとていねいに、延々と続ける勤勉さと持続性」を持っているように思う。そのことに割いている時間も、インプットの量もものすごい。「人生のうずめ具合」が半端じゃないのだ。

「コツコツと続けさえすればいい」
「あきらめさえしなければいい」
それは決意さえすればだれもができることのように語られるけれど、それこそがだれにでもできることではないように日々痛感している。「あきらめない」ということも「勤勉さと持続性を持ち合わせる」ということも、才能の一つのように思う。とてもかなわない。

それでもやはり、梅田氏言うところの「幸福な人生」ーー「人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること」「本当の幸福とは、そういう心の在りようにこそある」という考えに深く共感するわたしは、「あきらめない」で人生を送っていきたい。

「研究を続けるには『野暮な情熱』が必要なのよ」

小泉先生は、こうもおっしゃっていた。

かっこつけて、完璧になるまでは結果を形にしない、世に発表しないのではなく*3、たとえかっこ悪くてもどんどん結果を形にし、世に出していく。それこそが研究者に必要なことなのだと。わたしは研究者を目指しているわけじゃないけれど、「野暮な情熱」はきっと自分にとっても一つのキーワードなのだと思う。

レールに乗らない人生は、一歩先すら見えなくて、ひどく不安だ。
けれどそれでも、目の前にある一つひとつの小さなことを積み重ねていけば、道は開けるのだと信じたい。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

*1:http://www.digitalium.co.jp/showa/

*2:昨年度から、昭和のくらし博物館 企画展示(年1回ペースで展示替え)の勉強会メンバーになりました。そもそも小泉先生は、大学時代ゼミ&卒論で鍛えていただいた恩師です。

*3:まさに、これまでのこのブログだ!