焦土の中に萌えいずる緑
ふと書棚に目をやると、ずいぶん前に読みかけになっていた寺田寅彦の『柿の種』が目にとまった。手に取り開いた頁に書かれていたのがこの文章だった。
震災の火事の焼け跡の煙がまだ消えやらぬころ、黒焦げになった樹の幹に鉛丹(えんたん)色のかびのようなものが生え始めて、それが驚くべき速度で繁殖した。
樹という樹に生え広がって行った。
そうして、その丹色(にいろ)が、焔にあぶられた電車の架空線の電柱の赤さびの色や、焼け跡一面に散らばった煉瓦や、焼けた瓦の赤い色と映え合っていた。
道ばたに捨てられた握り飯にまでも、一面にこの赤かびが繁殖していた。
そうして、これが、あらゆる生命を焼き尽くされたと思われる焦土の上に、早くも盛り返して来る新しい生命の胚芽の先駆者であった。
三、四日たつと、焼けた芝生はもう青くなり、しゅろ竹や蘇鉄が芽を吹き、銀杏も細い若葉を吹き出した。
藤や桜は返り花をつけて、九月の末に春が帰って来た。
焦土の中に萌えいずる緑はうれしかった。
崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た、名も知らぬ雑草の花を見た時には思わず涙が出た。
(大正十二年十一月、渋柿)
本に呼ばれたのかもしれない。
いまは一日もはやく春の帰ってくることを、心から願う。